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昭和22年4月5日(1947年。 初の東京都大田区長選挙があり、小沼虎之助(48歳)が選ばれました。 大田区自体できたばかりでした。21日前の3月15日、東京都は、35あった区を整理統合して22区(後に板橋区から練馬区が独立して23区となる)になり、それぞれが市に準ずる権能のある特別区となりました(他にも、26市、1郡、4支庁がある)。その際、大森区と蒲田区も合併、大田区が生まれたのです。大森区の「大」と、蒲田区の「田」をとって、「大田」です。 前年(昭和21年)の11月3日に「日本国憲法」が公布され、その第8章(「地方自治」。92条~95条)に基づき「地方自治法」も公布されました。地方自治は「日本国憲法」の国民主権、基本的人権の尊重といった理念と
当地(東京都大田区)も戦災はなはだしく、そのどん底からの復興が急がれました。羽田3町の強制退去で家を失った人もたくさんいました。蒲田区役所は空襲で焼けましたが、大森区役所(木造2階建て。現在「大田文化の森」(東京都大田区中央二丁目10-1 Map→)があるあたりにあった)が無事だったので、そこが最初の大田区役所となります。 小沼区長は、同年(昭和22年)5月26日に開かれた最初の大田区議会の冒頭挨拶で、当区が、日中戦争以来、軍需工場によって発展した反面、文化事業や福祉は他区に比べて極めて立ち遅れた状況にあるとし、その改善に全力を尽くすことを誓い、理解と協力を求めました。区営公衆浴場、保育園、区営公益質店、区民会館、区営建売住宅の設置が急がれました。 小沼区長は東京都大田区大森南三丁目(Map→)の自宅から中央二丁目の区役所まで焼け跡を自転車で往復、途中、区民の声を積極的に聞きました。極めて難しい状況で心労も多かったのでしょう、区長就任後1年4ヶ月した昭和23年7月9日、病に倒れ49歳で逝去しました。一種の殉職でしょう。
小沼の後を継いで2代目の区長になったのが代田朝義(「しろた・ともよし」?)です。敗戦間近の昭和20年8月10日に発足した「城南信用組合」(入新井信用組合ほか15の信用組合が合併して発足。昭和26年施行の「信用金庫法」の施行直後日本初の信用金庫「城南信用金庫」として再出発。3.11の福一事故後、いち早く脱原発を打ち出した企業として知られる)の初代理事長だった人です。代田は3期にわたり10年間区長を務めました。 区政のビジョンを区民に広く伝える 大田区には現在50名の議員がいます。 次の選挙に向けて、区民がしなければならないのは、50名の現職が任期中に、どういった議案に対して、どういった立場を取ってきたかを知ることです(現職の再立候補が多い)。大変なことのようにも思ってしまいますが、まずは50名の氏名を全部覚え、区の重要な議題(例えば大田区では、「リニア」「羽田空港跡地」「飛行機のルート変更や増便」「民泊」「各種開発」「蒲蒲線」の問題など)に対してどういった立場を取ってきたかを理解しなくてはなりません。個々人(個々の家庭)の意識に任せていたら埒が明きませんので、義務教育期間中に(18歳から選挙に行かなければならない)、学校でしっかり教えるべきです。テストに出してもいいでしょう。その理解は主権者として当たり前ですし、社会を良くしていくために極めて重要なことだからです。50名といっても、政党や会派などに所属して同じ方向性をもつ人たちも多いので、理解はそんなに難しいことではありません。 家に、日本地図、世界地図と共に地方議会の議員の写真入りの一覧を貼り、彼らの日々の言動を意識し、積極的に話題に出していきましょう。お受験とかにかまけていると、すぐに18歳。肝心の主権者意識の欠落した大人になってしまいます。親御さんたちは選挙に行く時、必ずお子さんを連れていってください。場に慣れるのも大切です。18歳になって急に「選挙行こう♡」と言われても、行く意味すら分らないと思います。選挙に行ったとしてもパフォーマンスが派手だったり、目鼻立ちが立派な人、一品公約(例えば「オタク文化を守る」とか)の人、親から言われた人、会社から言われた人、教団などの組織から言われた人に投票するのが関の山でしょう。 区民の区政に対する意識が上がれば、その意識に見合った優れた議員と候補者が生まれ、住みよい町、国政にも影響を与えうる誇り高い町になることでしょう。 「民」の一人一人が主権者意識を持つことを嫌がる人たちがいます。多数派(または財力のある人たち)でいいようにやりたいのでしょう。彼らの決まり文句は「政治の話はご法度」「選挙なんていく必要ある?」です。不幸にもそういった考えの親の元に生まれたのなら、自活する能力を身につけ、さっさと家を出ましょう。 地方自治は国政とも密接に繋がっています。 平成31年、沖縄辺野古の埋め立ての是非を問う県民投票が行われ、自治体(沖縄県)の意思(反対が72.15%)が示されましたが、国はその結果を無視して埋め立てを進め、地方自治を蹂躙しました。沖縄県以外の地方議員にも「辺野古の埋め立て」について問うてみましょう。「よく分からない」「沖縄の問題だから」「国の問題だから」「答える立場にない」と言って逃げるなら、自治体の議員・候補として失格。「自治の問題」として真摯に考える人なら応援してもいいかもしれません。 国の安保法制(集団的自衛権を容認し、戦争できる国にする憲法違反の法律)に反対する意見書を国に提出するか否かが大田区議会で話し合われた時、どの議員が賛成したか、どの議員が反対したか、覚えておられますか? 大田区では「区議会だより」という議会報を出していますが、この重要なことを区民が関心持てるよう伝えることができたでしょうか? 議員を50人選ぶというのに1人にしか投票できないのも大問題です。優れた候補者が高得点で当選しても票がその候補に集中してしまい、あとはどうしようもない人たちなら、区政は良くなりません。大田区では、少数会派だと区長に区政を問う「代表質問」ができませんし、また、一人一日5分という質疑や討論の時間制限も設けられてしまいました。多数派に有利な仕組みを多数派が作ってしまったのです。少数派の意見が十分に検討される民主的な仕組みに戻すとともに、選挙では10人ぐらいまで投票できるようにすべきです。また、どうしようもない議員(ヘイトスピーチをする人たちの応援にいくような議員やその会派の人たち)に反対投票できる仕組みも必要でしょう。
■ 参考文献: ※当ページの最終修正年月日 |