昭和19年11月11日(1944年。
奇術師として
一世
を
風靡
した(
松旭斉)天勝が、東京目黒で自ら営んだ瀟洒
なアパート「水明荘(天勝一座の座員が起居し天勝寮とも呼ばれた)」の一室で死去しました。58歳。胃がんでした。
西徳寺
(東京都台東区竜泉一丁目20-19 Map→)にある実家の中井家の墓と、50を過ぎてから出会った2番目の夫・金沢一郎(スペイン語学者)の菩提寺(当地にある
万福寺
(東京都大田区南馬込一丁目49-1 Map→)に分骨され葬られました。万福寺の天勝の墓と並んで、彼女を追うようにして亡くなった夫・一郎の墓と、やはり数年後に亡くなった「天勝一座」の三橋支配人の墓もあるようです。当地の文学散歩のおりに寄ってみてはいかがでしょう。
天勝(本名は「中井かつ」)は、神田松富町(現・
外神田
四丁目 Map→)の質屋の長女として、明治19年5月21日に生まれました。父親の中井栄次郎は東京での競馬開催と米相場で失敗し、薬研堀
(現・東日本橋 Map→)で米屋をやりますが未完成の発明精米機の権利を買ってまたもや失敗、東京深川(現・門前仲町 Map→)で居酒屋を始めますがそれもうまくいかず、いよいよ行き詰って、家から100mほどの所にある「天地」という天ぷら屋にかつ(天勝)を小間使いとして出します。
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天一 |
この「天地」という天ぷら屋の主人が、「日本近代奇術の祖」と呼ばれることとなる (松旭斉)天一だったのです。天一は散歩の折に、家の手伝いをしているかつの姿を見、その器用さに目をとめたのでした。かつは11歳。そんな縁で、かつは奇術もしこまれて、その世界でめきめきと才能を発揮していきます。
天勝(かつ)は、明治44年(27歳)に独立、 「天勝一座」 を立ち上げて、座員100名以上をかかえるまでになります。国内だけでなく、米国での興行も成功させました。
大正10年(天勝35歳)には一座の支配人であり天勝の夫の野呂辰之助(最初の夫。奇術師の立場が危うかった時代であり、便宜上入籍したようだ)が、「天勝野球団」を設立。日本で2番目にできたプロ野球チームだそうです。一座の巡業にあわせて日本各地、中国、台湾、満州、朝鮮を巡って、行き先々でゲームをし、地元民と親睦、奇術の興行も成功させました。
そんな「天勝の時代」があり、天勝は文学作品にも姿を見せます。
三島由紀夫の自伝的小説『仮面の告白』(昭和24年。三島24歳で脱稿)に出てくる天勝が印象的です。小学校に上がるか否かの「私」は、新宿で天勝の公演を見て強烈な印象を受けます。
・・・やがて、私は「夜」が私のすぐ目近で帷をあげるのを見た。それは松旭斎天勝の舞台だった。・・・(中略)・・・彼女は豊かな肢体を、黙示録の大淫婦めいた衣裳に包んで、舞台の上をのびやかに散歩した。手褄使い特有の亡命貴族のような勿体ぶった鷹揚さと、あの一種沈鬱な愛嬌と、あの女丈夫らしい物腰とが、奇妙にも、安物のみが発する思い切った光輝に身を委ねた贋造の衣裳や、女浪曲師のような濃厚な化粧や、足の爪先まで塗った白粉や、人工宝石の堆い瑰麗な腕環などと、或るメランコリックな調和を示していた。むしろ不調和が落す陰翳の肌理のこまかさが、独特の諧和感をみちびいて来ていたのだ。・・(三島由紀夫『仮面の告白』より)
「私」は天勝に変装し、祖母は母や来客や女中のいる部屋に躍り出ます。自意識の芽生えとそれが最初に拒絶される瞬間。「私」は幼少期の“楽園”から出て行かなくてはならない、そんな年齢にさしかかったようです。
・・・狂おしい可笑しさ・うれしさにこらえきれず、
「天勝よ。僕、天勝よ」
と云いながらそこら中を駆けまわった。・・・(中略)・・・私の熱狂は、自分が扮(ふん)した天勝が多くの目にさらされているという意識に集中され、いわばただ私自身をしか見ていなかった。しかしふとした加減で、私は母の顔を見た。母はこころもち青ざめて、放心したように坐っていた。そして私と目が合うと、その目がすっと伏せられた。
私は了解した。涙が滲んで来た。
何をこのとき私は理解し、あるいは理解を迫られたのか? 「罪に先立つ悔恨」という後年の主題が、ここでその端緒を暗示してみせたのか? それとも愛の目のなかに置かれたときにいかほど孤独がぶざまに見えるかという教訓を、私はそこから受けとり、同時にまた、私自身の愛の拒み方を、その裏側から学びとったのか?・・・(三島由紀夫『仮面の告白』より)
昭和4年12月から「東京朝日新聞(夕刊)」に連載された川端康成(30歳)の小説『浅草紅団 』にも天勝が出てきます。浅草の不良グループ「紅団」のリーダー弓子(男装の美少女。川島芳子が男装し始めるのが大正14年末頃。弓子には川島のイメージが重ねられているかもしれない)を巡る復讐劇があったと思ったら、浅草の劇場での出し物が詳しく紹介されたり、そしてまた、あまり連続性のない物語へと戻ったり、と複雑な構造を持つ小説です(「東京朝日新聞(夕刊)」から「新潮」「改造」へと発表の場が変わった関係もあるかもしれない)。しかし、そのチグハグな構造が、猥雑でエネルギッシュで聖性すら帯びる浅草の底のしれない魅力を表しているようなのが面白いです。
その、劇場での出し物紹介で、「松旭斎天勝」と章立てされ50節、51節の2回分で天勝一座が紹介されています。
・・・「インチキ・レヴィウ」にくらべて、天勝一座のプログラムは、さすがいかにも立派だ。魔術の道具は眩ゆい装飾だ。若い踊子たちの客への表情が巧みに美しい。だが、そろそろ孫のありそうな天勝が女学生になる。どの幕にも出て威張り過ぎる。松岡ヘンリイの空中曲技は素晴しい。・・・(中略)・・・「絵筆の魂」の画家に扮した沢モリノが、野球の投手の身ぶりで、餡パンの紙袋を三四十も、桟敷
や土間のあちらこちらへ投げる。・・・(川端康成『浅草紅団』より)
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丸川賀世子『奇術師誕生 ~松旭斎天一・天二・天勝~』(新潮社) |
マシュー・L・トンプキンス 『トリックといかさま図鑑 〜奇術・心霊・超能力・錯誤の歴史〜』(日経ナショナルジオグラフィック社)。翻訳:定木大介 |
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泡坂妻夫『ヨギ ガンジーの妖術(新潮文庫)』。ドイツ人とミクロネシア人と大阪人の血を引く怪しさ満点の“迷探偵”ヨギ ガンジー。本作はそのシリーズの連作短編集。心霊術、遠隔殺人、念力、予言、枯木術、読心術、分身術といった奇術のトリックを見破っていく? 著者自身、奇術師だったとか |
「プレステージ」(平成18年。米国)。監督:クリストファー・ノーラン。原作はクリストファー・プリーストの代表作『奇術師』。主演はヒュー・ジャックマンとクリスチャン・ベール。片や貴族出身、片や孤児として生まれ育った二人のマジシャンの死闘を描く。科学者役でデヴィッド・ボウイも出演 |
■ 馬込文学マラソン:
・ 三島由紀夫の『豊饒の海』を読む→
・ 川端康成の『雪国』を読む→
■ 参考文献:
●『奇術師誕生 ~松旭齋天一、天二、天勝~』(丸川賀世子 新潮社 昭和59年発行)P.74-78、P.213 ●『松旭斎天勝』(石川雅章 桃源社 昭和43年発行)P.3-6、P.299-302 ●『異端の球譜 ~「プロ野球元年」の天勝野球団~』(大平昌秀 サワズ出版 平成4年発行)P.184-193 ●万福寺の天勝のお墓の案内板
※当ページの最終修正年月日
2024.11.11
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