
昭和13年9月14日(1938年。
、三菱重工業が「零式艦上戦闘機」(零戦
、ゼロ戦。以下、ゼロ戦)の試作に成功、翌年、製作され初飛行にも成功します(昭和14年4月1日)。
翌昭和15年には中国戦線に出動、アジア太平洋戦争開戦時には海軍の主力戦闘機になっていました。
全長9.1m、全幅は12m。徹底して軽量化され、上昇力、旋回力、航続力に優れ、第二次世界大戦初期では世界で最も優れた戦闘機の一つと評価され、無敵とさえ言われました。
日本は、最初、ハワイの真珠湾の米軍を奇襲し(宣戦布告が間に合わず騙し討ちとなった)、マレー半島の英国軍も奇襲し(こちらも事前通告のない騙し討ち)、勝利を重ねていきました。
しかし、勝ち続けたのはおよそ半年。昭和17年5月から、巨大な物量を投入した米軍の反撃に撤退を重ねていきます。昭和19年に入ると、ビアク島、サイパン島、テニアン島、グアム島、中国の
拉猛
・騰越
の日本軍守備兵も壊滅、米軍がフィリピンの島々にも迫ってきました。日本は、もはや、通常の方法では勝てる見込みがなくなります。
昭和19年6月25日に開かれた元帥会議での伏見宮
の「陸海軍とも何か特殊兵器を考えるべき」との発言が後押しなって、飛行機やモーターボートに爆弾を積んで敵の軍艦に突入する「特攻」(体当たり戦法、人間爆弾、自殺攻撃)が考えられるようになります。天下のゼロ戦(米国がより優れた戦闘機を開発、凡庸な戦闘機になっていた)も、「特攻」に利用されるようになりました。ゼロ戦に250kgもの爆弾を積んで、体当たりするというものです。大西瀧治郎中将が10月18日に作戦を持ち出したことから、大西は「特攻の父」と呼ばれていますが、軍令部の源田 実参謀の起案した「神風
特攻隊」(「神風」は「しんぷう」とも)を指令した10月13日(大西が作戦を持ち出したとされる日の5日前)付の電報が 残っていることから、大西は「神風特攻隊」の命令者ではなく、あくまでも遂行者だったと考えられます。
10月20日より米軍のフィリピン奪還のためのレイテ島攻撃が始まると、10月21日〜25日、関 行男大尉が指揮する22機がレイテ湾の米軍艦隊に体当たり。これがゼロ戦による「特攻」の最初です(死を覚悟した突撃は昔からあった(「湊川の戦い」での楠木正成など)。「(第一次)上海事変」での「爆弾三勇士」もまさにそうだし、真珠湾攻撃の際の小型特殊潜水艇「甲標的」での突撃も、搭乗員の生還が難しいものだった)。
米軍にしてみたら「ありえない攻撃」だったので、意表を突かれた米軍に、当初、大きな被害がありました。しかし、米軍のレーダーを使った迎撃体制が整うにつれ、特攻機が米国の艦戦に接近するのが難しくなってきます。それでも敗戦まで「特攻」は行われ、敗戦までの10ヵ月足らずで、航空機の特攻だけで約4,000人の若者が死に、「水上特攻」でもそれに匹敵する死者が出ました。
特攻は、命令ではなく、志願という形をとりました。さすがに命令はできなかったのでしょう。日本の正義をひたすら信じて従容として出撃した人もいたのも事実ですが(その部分だけを取り上げて、「特攻」を美化する人たちがいまだにいる)、反面、当時から当然、疑問を持つ人もいました。航空隊によっては「全員特攻」の方針が一方的に告げられるところもありました。
「特攻の父」と言われる大西からして、「特攻」作戦を「統率の外道」と断じましたし(汚名を一身に負って、大西は玉音放送の翌日、割腹自死する。54歳)、最初の「神風特攻隊」(敷島隊)を指揮した関も、志願という形でしたが、「日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて……しかし、命令とあれば、やむを得ない」という言葉を残しています。
朝鮮民族の卓 庚鉉(光山文博少尉)も、特攻隊基地・知覧
(「知覧特攻平和会館」(鹿児島県南九州市知覧町郡17881 Map→ Site→))から戦闘機「隼」で飛び立ち、帰らぬ人となりました。内地人から不当な差別を受けていた卓は、「日本人」として(当時、朝鮮は日本の支配下にあった)、どんな気持ちで飛び立ったでしょう。卓を含め20名ほどの朝鮮民族の特攻隊員がいたと推測されています。
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「踏みにじられた南の島 ~レイテ・フィリピン~(NHK戦争証言アーカイブス/ドキュメント太平洋戦争 第5集)」。初の「神風特攻」作戦の背景。アジア太平洋戦争の本質にも触れている。こういうことを伝えられていたなら、「特攻」に志願する人などいなかっただろう(いや、やはり“空気”にやられたか)、というか、そもそもアジア太平洋戦争など支持しなかっただろう* |
自民党の結党時(昭和30年)より少しずつ準備されてきたのでしょうが、平成24年からの第2次安倍政権発足後からの戦前讃美には目に余るものがあります。「八紘一宇
」「血を流す覚悟」「ナチスに学んだらどうか」といったことをほざく「戦前の歴史に全く無知な与党政治家」(あるいは、五千万人以上の死者が出た第二次世界大戦(アジア太平洋戦争を含め)を是としているのかもしれないが)が、戦後になって現れるとは思いませんでした。「平和」がどんどん当たり前でなくなっています、「政治? ダッセー」の人にはピンとこないかもしれませんが・・・。憲法で戦争が禁止されているのに米国の戦争に加勢できるようになってしまったし、原子爆弾の原料となるプルトニウムを溜め込んでるし、殺傷力のある武器(人を殺す道具)も輸出できるようになるようだし、世界は日本を平和国家とはもう認めないかもしれません。「君を守る!」とか、「
異形
を倒す!」とかいった好戦的(嗜戦的)な映画・漫画も目立ちます。
平成25年、宮崎 駿のアニメ映画「風立ちぬ」と百田尚樹原作の映画「永遠の0」というゼロ戦にまつわる2つの映画が公開され、安倍政権下だったのでゾッとしました(作品自体を全否定はしませんが)。平成25年は「ゼロ戦」強化年間とかだったのでしょうか? 「特攻」を知ることは必要ですが、美化するものではありません。特攻で命を落とした若者たちは、戦争の犠牲者です。
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栗原俊雄『特攻 〜戦争と日本人〜 (中公新書)』 |
山元研二『「特攻」を子どもにどう教えるか』(高文研) |
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大岡昇平『レイテ戦記(一) (中公文庫)』。レイテ島での死闘を詳述。従軍経験をもち、「事実」にこだわった著者による戦記文学の金字塔 |
映画「ホタル」。監督:降旗康男。出演:高倉 健、田中裕子、奈良岡朋子ほか。卓 庚鉉(演:小澤征悦)がモデルと思しき人物も出てくる |
■ 参考文献:
●『大田区史年表』(監修:新倉善之 東京都大田区 昭和54年発行)P.466 ●「零戦」(藤田勝啓)※「日本大百科全書(ニッポニカ)」(小学館)に収録(コトバンク→) ●『詳説 日本史研究』(編集:佐藤
信
、
五味
文彦、
高埜
利彦、
鳥海
靖 山川出版社 平成29年初版発行 令和2年発行3刷)P.472-473 ●『図説 太平洋戦争』(編集:池田 清ほか 河出書房新社 平成7年初版発行 平成13年発行12刷)P.102-109、P.166 ●『昭和史(1926-1945)(平凡社ライブラリー)』(半藤一利 平成21年発行)P.429-438 ●「神風特別攻撃隊」※「ブリタニカ国際大百科辞典」に収録(コトバンク→) ●『特攻 〜戦争と日本人〜(中公新書)』(栗原俊雄 平成27年発行)「はじめに」iii、P.3-5、P.132-139
※当ページの最終修正年月日
2024.9.14
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