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SとMと(昭和33年9月10日、三島由紀夫、澁澤龍彦に手紙を書く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三島由紀夫 澁澤龍彦
澁澤龍彦

昭和33年9月10日(1958年。 三島由紀夫(33歳)が澁澤龍彦(30歳)に出した手紙に次の一節がありました。

・・・さてそれからがお願ひですが、貴兄は思ふ存分「サド論」を書いてごらんになるお気持ちはありませんか? もしそれが出来たらぜひ小生に、一番先に読ませていただけませんか? ・・・

2人の付き合いは、2年前の昭和31年頃、澁澤が「サド選集」の序文を三島に頼んだことから始まったようです。澁澤は三島より3つ若い(昭和3年生まれ)、サド研究の第一人者。東京大学文学部の卒論ですでにサドを取り上げた筋金入りです。世間でのサドの評価が低劣なポルノ作家、またはそれ以下のもの(犯罪者・変質者とか)だったでしょうから、頼れるのは冒険的に思考できる三島ぐらいだったのかもしれません。案の定、三島は乗ってきました。

サドとは何者でしょう?

サド侯爵 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用しました 出典:ウィキペディア/マルキ・ド・サド
サド侯爵

SMの「S」(サディズム。加虐性欲)の語源になった人で、1740年に生まれ1814年まで生きた小説家であり思想家です。位は侯爵。五爵位だと上から2番目(公爵の下で伯爵の上)で由緒ある貴族でした。高等教育を受けて国王付きの歩兵連隊の士官として七年戦争にも参加しています。その後、司法官の娘と結婚し、世の常道を行っている感がありました。ところが、物乞いしていた女を監禁して拷問するといった「アルクイユ事件」、娼婦を集めて乱行に及んだ「マルセイユ事件」などを引き起こし、毒殺未遂と男色のかどで追われ、入獄と脱獄を繰り返して、結局は74年間の人生のうち1/3以上を刑務所で過ごし、精神病院で一生を終えるといった壮絶な生涯を送っています。

サド作品の多くが監獄で書かれ、彼の主著『美徳の不幸(ジュスティーヌあるいは美徳の不幸)』は、バスチーユ監獄で書かれました。刊行が1791年で、フランス革命の嚆矢となったバスチーユ監獄の襲撃(1789年)の2年後です。バスチーユ監獄の囚人だったサドも襲撃1年後(1790年)に釈放されました。サド作品はフランス革命期の絶対権力に抗し、自由を求める機運に連動していたのです。作品には、 ジュリエットとジュスティーヌの姉妹が出てきます。 淫乱な姉ジュリエットは栄華を極めるのに、純情なジュスティーヌは不幸のどん底に落ちていきます。当時絶対的な権力を有していた教会がキィー!となりそうな内容です。無神論の主張とも言えます。サドはエロを追求することで、既成の権力・道徳を超越したのです。1900年代になって、大胆に根源的自由を探索した作家としてアポリネール、ブルトン、バタイユらから高く評価されます。

エビング
エビング

サド作品には性的“不道徳”行為がたくさん書かれており、性的な倒錯の貴重な資料にもなっています。ドイツの精神医学者クラフト・エビングはサド作品に典型的に出てくる加虐性愛(対象に苦痛を与えることで性的快感を得る)行為をサディズムと名付けました。エビングは、『精神医学教科書』という著作で、サディズムの他に、マゾヒズム、同性愛、屍姦、快楽殺人、性欲亢進症、性欲欠乏症(不感症)といった性欲の諸相にも命名しています。

マゾッホ
マゾッホ

マゾヒズムはサディズムと対をなすもので、苦痛を与えられることから快感を得る被虐性愛で、やはり貴族で小説家のマゾッホの行動と著作に典型的に現れることから、そう命名されました。

フロイト
フロイト

無意識を探究し精神分析の祖といわれるフロイト(1856-1939)は、性対象に対する能動的行為全般をサディズムとし、その概念を拡張しました。その行動が極端な場合は性的倒錯とされても、サディズム的要素S要素)自体は、全ての人間の性衝動の根幹をなすものとしたのです。そうならば、能動的性行為だけではセックスは成立しないので、それを受け入れる受動的性行為、つまりはマゾヒズム的要素M要素)も全ての人間の性衝動の根幹をなしていることになるでしょう。

世界的では、性に対する考え方がここまで深まっていました。

冒頭の三島が渋澤にあてた手紙に戻ると、その手紙の翌年(昭和34年)、渋澤がサドの『悪徳の栄え』を翻訳し出版したところ、刑法175条に抵触するとして起訴され、10年後に有罪となります。戦後に、10年もかけて、この判決とは恥ずかしいですね。日本の司法は、起訴されたら起訴した側のメンツを潰さないようにか、だいたいが有罪になるという後進性を有しています。そのためでしょうか?

三島の依頼通り澁澤は「サド論」(『サド侯爵の生涯』)を書き、三島はそれを元に昭和40年(40歳)、戯曲「サド侯爵夫人」を書きました。登場する6人の女性がそれぞれ異なった世界観を表し、サド侯爵夫人は「貞淑」、夫人の母親のモントルイユ夫人は「法や社会や道徳」、サン・フォン伯爵夫人は「肉欲」、シミアーヌ男爵夫人は「神」、サド公爵夫人の妹のアンヌは「無邪気と無節操」、召使いのシャルロットは「民衆」を代表するようです。彼女らに対話させることで、「人間存在の複雑さ」が浮かび上がってきます。起筆された昭和40年の11月には初演され、その年の芸術祭賞を受賞。江藤 淳、山本健吉、井上ひさしらも高く評価しました。演劇批評誌「シアターアーツ」(平成6年12月号)は「戦後演劇史上最高傑作の戯曲」と絶賛。ドナルド・キーンなどによって数カ国語に訳され、本家本元のフランスでも演じられ評判になったようです。近年では、平成24年、蒼井 優さんがサド侯爵夫人(ルネ)を演じたようですね。平成17年11月公演の「サド公爵夫人」(新妻聖子さんがサド侯爵夫人を演じている)がネットにアップされています。YouTube→

秦豊吉

当地(東京都大田区)にも在住し、八面六臂はちめんろっぴの活躍をした秦 豊吉は、「丸木佐土(まるき・さど)」というペンネームを持っていました。“そっち方面”での活躍も顕著です。

渋澤龍彦 『サド侯爵の生涯 (中公文庫)』 種村季弘(すえひろ) 『ザッヘル=マゾッホの世界 (平凡社ライブラリー)』
渋澤龍彦『サド侯爵の生涯 (中公文庫)』 種村季弘すえひろ 『ザッヘル=マゾッホの世界 (平凡社ライブラリー)』
三島由紀夫 『サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫) 』 団 鬼六 『SMに市民権を与えたのは私です (立東舎文庫) 』
三島由紀夫 『サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫) 』 団 鬼六『SMに市民権を与えたのは私です (立東舎文庫) 』

■ 馬込文学マラソン:
三島由紀夫の『豊饒の海』を読む→

■ 参考文献:
●『決定版 三島由紀夫全集38』(新潮社 平成16年発行)P.515-539 ● 『三島由紀夫研究年表』(安藤 武 西田書店 昭和63年発行)P.141-243 ●「サド」(植田裕次)※「日本大百科全書(ニッポニカ)」(小学館)に収録コトバンク→ ●「ブリタニカ国際大百科事典 /ジュスティーヌあるいは美徳の不幸」(Britannica Japan)コトバンク→) ●「サディズム」(白井蔣文)※「日本大百科全書(ニッポニカ)」(小学館)に掲載コトバンク→ ●「クラフト・エービング」※「世界大百科事典(第2版)」(平凡社)に掲載コトバンク→) ●「マゾヒズム」(白井將文)※「日本大百科全書(ニッポニカ)」(小学館)に収録コトバンク→ ●「『サド侯爵夫人』の自作解題」(三島由紀夫)※『サド侯爵夫人 わが友ヒットラー(新潮文庫)』(昭和54年発行 平成15年28刷参照)に収録

※当ページの最終修正年月日
2022.9.9

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