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生まれ変わる(明治41年7月25日づけの堺利彦の手紙より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

堺 利彦

明治41年7月25日(1908年。 堺 利彦(37歳)が妻の 為子 ためこ にあてた手紙に、

人を信ずれば友を得、人を疑へば敵を作る

とあります。の人生は、この一節をそのまま実践した感があります。

は「国民一人一人の主権」を主張したので、生涯に5度も投獄されました。この時は3度目で、「赤旗事件」というなんでもない揉め事で、2年という異常に長い禁錮刑を喰らっていました。今からすると信じがたいですが、戦前は、民主主義が弾圧されたのです。 主権が天皇にあり、天皇を祭り上げ、その権威を利用する人たちが世の中を牛耳っていました。

の服役中、 為子はの蔵書をある人に預けたそうです(警察に見つかっては困る“危険な本”(民主主義・社会主義関係の本)もたくさんあったのでしょう)。ところが、その本を預かった人がお金に困って、無断で全て売っぱらってしまいました。 は大切な蔵書を全て失います。ところがは、「困った時は仕方がない」とその人を一切せめず、以後もずっと仲良くしたそうです。

なぜ、そんなことができるのでしょう?

実は、、第一高等中学校(第一高等学校)入学直後(17歳頃)から吉原での遊びを覚え、飲酒にも溺れ、借金を作りまくり、学業は最下位に転落、月謝も未納で学校から除名され、養家からも縁を切られています。

立ち直るきっかけは、明治28〜29年(24~25歳)、尊敬する父母を立て続けに失ったこと。 身を持ち崩した自分を諌めるために命を絶とうとすらした母を思い、は激しく悔い始めました。最初の妻の美知子の存在も大きいです。美知子がどん底にあったをよく理解し支えたのです。2人と長男の不二彦は明治32年(28歳)から翌33年にかけて当地(東京都大田区大森北)でも暮らしています。美知子は明治37年、肺の病いで他界しますが、彼女がを「生まれ変わらせました」。自分も堕落したことがあるので、ダメな状態の人をもは理解することができたのでしょう(そのダメな人にもある美質を見つけることができたのでしょう)。

堺 利彦
ジャン・ヴァルジャン

前妻の美知子と所帯をもっていた時期(明治31年)、は、ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』のあら筋を「福岡日日新聞」に連載しました。黒岩涙香が『レ・ミゼラブル』を翻案して『 噫無情 ああ・むじょう 』として発表したのが明治35年ですから、その4年前です。レ・ミゼラブルを日本で最初に紹介したのはかもしれません。

『レ・ミゼラブル』も、「生まれ変わる」物語でした。

姉の餓えた子のために1本のパンを盗んだため結果19年間投獄されたジャン・ヴァルジャンは、出獄後も社会から冷遇されました。そんな彼を温かく迎えたのがミリエル司教でした。それなのに、ジャンは教会の宝の銀の食器を盗んでしまいます。翌日、憲兵に捕まったジャンが教会に引き連れられて来ると、ミリエル司教は憲兵に「銀食器は友(ジャン)に差し上げたもの」と言って、彼の窃盗を否定、さらに、上げ忘れていたとして銀の燭台までジャンに与えます。世間に対する不信と憎悪に囚われていたジャンでしたが、この時、はたと回心、崇高な人生を歩み始めます。「打算のない受容」には人を変える力があるようです。

は、知り合いが自分の本を全て売っぱらってしまった時、ミリエル司教を思い出したに違いありません。

宗教(金の必要な“宗教”はもはや宗教の名に値せず、念のため)には、劇的な生まれ変わりの物語がつきものです。

「新約聖書」に登場する「マグダラのマリア」は、罪深い女(姦通罪を犯した?)から生まれ変わり、警察権力がイエスにおよんだ時、男の弟子はことごとくイエスから去っていったのに、彼女は最後までイエスに付き従いました(ティツィアーノの「悔悛するマグダラのマリア」→)。

「新約聖書」の著者の一人のパウロも、最初はイエスの信徒を迫害する側にいましたが、熱心な信徒に生まれ変わりました。そして、困難な他国への布教で大きな功績を残します(カラヴァッジオの「聖パウロの回心」→)。

佐渡に流された日蓮を助けた 阿仏房 あぶつぼう も最初は熱心な念仏信者で日蓮と敵対していましたが、日蓮を慕う者へと生まれ変りました。のちに山梨県身延の山中に住まうようになった日蓮を、阿仏房は佐渡からはるばる3度訪れ、3度目の時は90歳を越えていたそうです。

本気で打ち込めるものを見つけた時も、人は生まれ変わるようです。

子母沢 寛の『勝 海舟』に、腕は達者なのに、いつも酒を飲んでぷらぷらしている鍛治の“鉄五郎のとっさん”が出てきます。そんな鐵五郎に(29歳頃)は鉄砲の鋳造を依頼します。それをきっかけに、鉄五郎は生まれ変わります(鉄砲の試射は、当地(東京都大田区)にあった鈴木新田で行われる)。

・・・「俺あ、この図を見た時から、うむ、こ奴だ、鉄五郎が精魂を打込む一生の仕事はとな。え、俺あ、はじめてこの世の中に生れて来て、槌をふるう身になったことがよかったと思ったのさ。この鉄砲一挺に、鉄五郎の一生の命を打込んだのだ。こ奴が、裂けたり割れたり折れたりしたら、俺あその場で死ぬ気だよ」
江戸ッ子だ、鉄五郎は嘘はつかない。少しうるんだ眼で麟太郎を見た。麟太郎は、それじゃあ、おいら一日おくれて死ぬよ、お前と心中と見られるがいやだよと、大声で笑った。
見事な鉄砲だ。・・・(子母沢 寛『勝 海舟』より)

1度の人生なのに、2度も3度も生まれ変わる人もいます。

モルガンお雪
モルガンお雪

モルガンお雪は、元は京都祇園の芸妓でしたが、明治34年(20歳)、米国の金融王ジョン・モルガンの甥のジョージ・モルガンに見初められ、莫大な身請け金で引き取られて、マスコミは「日本のシンデレラ」と讃えました。

そんなお雪ですが、渡った先のニューヨークでも日本でもフランスでも幸せだったとは言い難いです。言葉の壁、人々からの好奇の目、日本人であること、「芸者ガール」だったことから受ける差別、などに苦しみました。

モルガンも次のパートナーも死去し、昭和13年(57歳)帰国。その後は敬虔なカトリック教徒となり、京都で宗教的な日々を送りました。「カトリック衣笠教会」(京都市北区衣笠御所ノ内町4 Map→)は彼女の寄付で建てられました。お雪の墓碑には「テレジア・ユキ・モルガン」と刻まれています。

ヴィクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル〈1〉 (ちくま文庫)』。訳:西永良成 芥川龍之介『蜘蛛の糸・杜子春 (新潮文庫) 』。生まれ変われる可能性とその困難さ。子ども向けに書かれた物語だが、深く、面白い
ヴィクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル〈1〉(ちくま文庫)』。訳:西永良成 芥川龍之介『蜘蛛の糸・杜子春 (新潮文庫) 』。生まれ変われる可能性とその困難さ
小坂井 澄 『モルガンお雪 (集英社文庫) 』 ジェリー・ルイスの「底抜け大学教授」。誰にだって生まれ変わり願望はある?
小坂井 すみ 『モルガンお雪 (集英社文庫) 』。 ジェリー・ルイスの「底抜け大学教授」。誰にだって生まれ変わり願望はある?

■ 馬込文学マラソン:
川口松太郎の『日蓮』を読む→
子母沢 寛の『勝 海舟』を読む→
芥川龍之介の『魔術』を読む→

■ 参考文献:
●『パンとペン』(社会主義者・堺 利彦と「売文社」の闘い)(黒岩比佐子 講談社 平成22年発行)P.41-59、P.69、P.234、P.421-424 ●『勝 海舟(一)』(子母沢 寛 新潮社 昭和39年発行)P.202-236 ●『モルガンお雪(集英社文庫)』(小坂井 すみ 昭和59年発行)P.8-13 

※当ページの最終修正年月日
2023.7.25

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