黒岩涙香くろいわ・るいこう。文久2年(1862年)高知県生まれの翻案家・ジャーナリスト。16歳で大阪に出て、中之島専門学校で英語を学ぶ。「今日新聞(都新聞)」を経て、明治25年(30歳)、「万朝報」を創刊。『巌窟王』『噫無情(レ・ミゼラブル)』などの翻案小説で人気を博す。幸徳秋水、堺 利彦、内村鑑三らと「理想団」を結成したが、日露戦争時、非戦論から主戦論に転じる。大正9年(58歳)肺がんで死去。参考サイト:ウィキペディア/黒岩涙香→ ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/黒岩涙香(平成29年10月18日更新版)→ |