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生まれる歌(平成22年2月10日、「世界の終わり」(SEKAI NO OWARI)、インディーズ・デビュー)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「club EARTH」への階段。「club EARTH」があるあたりPhoto→)。「club EARTH」の看板Photo→)。今や引っ張りだこの彼らだが、こっそり戻ってきて、ビートルズの「ルーフトップ・コンサート」YouTube→みたいにゲリラ・ライブやらないかしら?


平成22年2月10日(2010年。 バンド「世界の終わり」(現・SEKAI NO OWARI)が、シングル「幻の命」でインディーズ・デビューしています。収録曲は、「幻の命」「インスタントラジオ」「白昼の夢(at club EARTH)」 の3曲。

2ヶ月後の4月7日には初のアルバム「EARTH」(上掲3曲も収録 Amazon→)をリリース、翌平成23年7月までに全国23都市を巡り、ツアーも成功させました。

彼らの原点は、当地(東京都大田区)にあります。デビュー4年前の平成18年、メンバーの4人(Fukase(深瀬 さとし 。21歳頃)、Saori(藤崎 彩織さおり 。20歳頃)、Nakajin(中島真一。21歳頃)、DJ LOVE(初代)(21歳頃?)は、当地(東京都大田区 東糀谷ひがし・こうじや 四丁目7-30 Map→)の印刷工場だったところの地下を借りて、ライブ空間「club EARTH」を作りました。自分たちで壁を剥がして防音材を貼り付け、買ってきた木材でステージを作ったようです。彼らの“歌”は、そんな手作り空間から生まれたのですね。「club EARTH」では5年ほど活動したようです。

シングル「幻の命」の1曲目「幻の命」(作詞:Fukase、作曲:Saori)を聴いてみました。繊細で優しく、そして、謎にみちた“歌”。白い病院で死んだという“幻”(それは「僕たちの子ども」でもあるようだ。かつての自分か?)に再び会いたい、その心を今の自分の心として再び感じ取りたいということでしょうか。

心を打つ多くの歌(実は全ての表現)は、世間に対する違和感(本来のものに届かない感じ、切なさ)から生まれるのかもしれません。

世界の終わり(現・SEKAI NO OWARI)の「幻の命」。間奏部で、大田区の街並み・「club EARTH」と思しきものが映る by LastrumMusic

当地(東京都大田区)を走る池上線は、大正11年、本門寺への参拝者輸送を目的に開設され、昭和3年には蒲田~五反田間が全通しました。沿線には今も昔ながらの住宅街の風情が残っています。昭和51年、西島三重子さんが歌ってヒットした「池上線」(作詞:佐藤順英。作曲:西島三重子 Amazon→ YouTubu→)はその沿線を背景にした歌です。「角のフルーツショップだけが あか りともす」商店街を抜けて踏切を渡った時、二人に別れがやってきます。彼はいつも「池上線が走る町」まで「私」を送ってくれたのでしょう。でも、もう、彼はこの町に来ることはないだろうと。

歌詞に出てくる「駅」は「池上駅」(東京都大田区池上六丁目3-10 Map→)で、「角のフルーツショップ」はその後ビルになったとのこと(現在、ビルの1階に「ケンタッキーフライドチキン池上店」(東京都大田区池上六丁目3-9 Map→)が入っている)。

「池上線」に涙して、自分の「別れ」を乗り越えていった人も少なくないことでしょう。

添田唖蝉坊 添田知道 小沢昭一 川上音二郎
小沢昭一

演歌は明治時代からあり、当時は、自由民権運動の勃興を背景に、藩閥政治に抵抗して歌われる「 」でした。政権を批判する演説会に対する当局の弾圧をかわし、その民衆の精神を歌に乗せて、広く流布することが目的でした。当地(東京都大田区)では、演歌の創始者・添田唖蝉坊が往来し(死んだのも当地で)、その息子の演歌師・添田さつき(添田知道)も長年当地に住んでいました。当地出身の小沢昭一は唖蝉坊の歌を紹介・カバーしたし、オッペケペ節の川上音二郎貞奴の夫妻も一時期、選挙目的に、当地(現在「パークタワー山王」(東京都大田区山王三丁目5 Map→)が建っているあたり)に住んでいました。

「金々節」。依頼主の講談社も尻込んだという一作。作詞:添田唖蝉坊、作曲:後藤紫雲、唄・三味線・太鼓:土取利行つちとり・としゆき  by ototatchinuru18

戦前から社会改革を目指す文化運動の小単位としてサークルという言葉が使われてきましたが、戦後、意味合いを少し変え、地域、職場、学校で、歌い、演じ、書き、自分らの手で社会・文化を担おうというサークル文化運動が再び盛んになります。特に、当地(東京都大田区)の「下丸子文化集団」は、松田解子安部公房らの支援を受け、全国で起こったサークル文化運動の中心的存在となりました。「下丸子文化集団」の後身「南部文化集団」の 浅田石二 あさだ・いしじ (当時22歳)が作詞した「原爆を許すまじ」YouTube→は、昭和29年8月6日の原爆記念平和式典にあわせて急速に広がり、全国で歌われるようになりました。当時は「うたごえ運動」も盛んでした。連合国軍(実態は米国の単独占領)は日本の非軍国主義化に貢献してきましたが、対ソ戦略の絡みで反動化、日本に勃興してきた民主化運動・労働運動・平和運動を弾圧するようになります。サークル文化運動は、そういった政治状況に刺激され、抵抗する形で盛り上がりました。

今も「音楽に政治を持ち込むな」とかいった見え透いたバカげたスローガンが権力サイドから発せられますが(つまりは「批判などせず大人しく従っておれ」ということ)、政治、すなわち社会や世界と切り離された歌にいかほどの魂がこもるでしょう? きらびやかなライトの中で、“信者”に囲まれ、「君を守っていくよぉ〜」とか「私は私のささやかな幸せをぉ〜」とかだけ歌ってればいいのかな?(アホくさ)

ことさら私が言わなくとも理解していただけると思うが、世界の重要な音楽は川向こう、線引きされた向こうに発生している。フラメンコ、ファド、タンゴ、ジャズ。いずれも町の領域の中で生まれたのではなく町の外に押しやられた人々の中で芽ぶき、撹拌かくはんされ強靭きょうじんになって育った。あれは何年前だろうか、「立ち上がれ、目覚めよ」という声と共にジャマイカの聖域サンクチュアリ、貧困と差別にさらされたゲットウからボブ・マウリーのレゲエが聴こえてきたのは。・・・・(中上健次「トーテムからのヴァイブレイション」より)

長谷川恒男『生きぬくことは冒険だよ (集英社文庫) 』。アルプス三大北壁の冬期単独登攀を世界で初めて成し遂げた長谷川。水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」(YouTube→)を繰り返し繰り返し歌って、危険かつ、困難かつ、孤独な登攀を克服した ピーター・バラカン『ロックの英詞を読む 〜 世界を変える歌〜』(集英社インターナショナル)。反戦、人権、普遍的な愛などを歌ったメッセージソングから、英語と魂を学ぶ。ジョン・レノン「労働者階級の英雄」、ビリー・ホリデイ「奇妙な果実」ほか
長谷川恒男『生きぬくことは冒険だよ (集英社文庫) 』。アルプス三大北壁の冬期単独登攀を世界で初めて成し遂げた長谷川。水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」YouTube→を繰り返し繰り返し歌って、危険かつ、困難かつ、孤独な登攀を克服した ピーター・バラカン『ロックの英詞を読む 〜 世界を変える歌〜』(集英社インターナショナル)。反戦、人権、普遍的な愛などを歌ったメッセージソングから、英語と魂を学ぶ。ジョン・レノン「労働者階級の英雄」、ビリー・ホリデイ「奇妙な果実」ほか
添田知道『流行り唄五十年 〜唖蝉坊は歌う〜 (朝日新書。ミニCD付き)』。解説・唄:小沢昭一 ボブ・マーリー「Get Up, Stand Up (Live At The Rainbow Theatre, London / June 1, 1977)」。Live at Munich, 1980→
添田知道『流行り唄五十年 〜唖蝉坊は歌う〜 (朝日新書。ミニCD付き)』。解説・唄:小沢昭一 ボブ・マーリー「Get Up, Stand Up (Live At The Rainbow Theatre, London / June 1, 1977)」。Live at Munich, 1980→

■ 参考文献:
●「駅に残した切ない記憶/西島三重子「池上線」(「うたの旅人」)」(中島鉄郎)※「朝日新聞」(平成20年4月19日掲載) ●「『名曲「池上線」の舞台 ~池上駅〜』」ドコモ団塊倶楽部→) ●『川上音二郎貞奴 〜新聞にみる人物像〜』(編著:白川宣力 雄松堂出版 昭和60年発行)P.241-242、P.281-282 ● 『大田文学地図』(染谷孝哉 蒼海出版 昭和46年発行)P.276-283 ● 『下丸子文化集団とその時代』(道場近信 みすず書房 平成28年発行)P.1-3、P.279-281 ●「サークル運動」(今 防人)※「世界大百科事典(改訂新版)」(平凡社)に収録コトバンク→ ●『詳説 日本史研究』(編集:佐藤 信、 五味 ごみ 文彦、 高埜 たかの 利彦、 鳥海 とりうみ 靖 山川出版社 平成29年初版発行 令和2年発行3刷)P.482-501

※当ページの最終修正年月日
2024.2.10

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