{column0}


(C) Designroom RUNE
総計- 本日- 昨日-

{column0}

現場(昭和7年4月14日、「上陸第一歩」が公開される)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和7年4月14日(1932年。 島津保次郎しまづ・やすじろう監督(34歳)の蒲田映画「上陸第一歩」YouTube→が公開されました。

松竹蒲田撮影所は1年前(昭和6年)、日本初の本格的トーキー(有声映画)を成功させました。島津は初トーキーは当然自分が監督すると考えていたので、自分の弟子の五所平之助ごしょ・へいのすけに白羽が立ち、当然、面白くなかったでしょう。撮影所所長の城戸四郎から2作目のトーキーをやってくれと言われた時はヘソを曲げて断っています。ところが、再び五所がメガホンを取ったトーキー2作目の「若き日の感激」が制作費がかさむわ評価は低いやらで散々な結果となり、島津の出番となります。「上陸第一歩」は蒲田でのトーキー3作目です。

久々に陸に上がった船乗りたちが港町で羽を伸ばします。船の 火夫かふ の坂本は“上陸第一歩”で海に身投げした女を助け、そこからがてんやわんや。坂本は荒くれで、女もすれっからし。坂本は女を助けますが、だからといって女に優しいわけでもなく、女を“女”にしようという魂胆もありません。そんな不思議な坂本に女が惹かれていく・・・。坂本を演じる岡 譲二が魅力的でした。岡はのちに、明智小五郎も金田一耕助も演じるのですね。

特筆すべきは、この映画の撮影中、撮影場所で火事があり(映画の中でも火事がある)、セット全体が火に包まれました。キャメラマンの水谷文次郎(水谷文二郎、水谷至宏のりひろ 。「路上の霊魂」「マダムと女房」も撮影)は、キャメラ・ブースの中にいて、危うく焼死するところでした。当時は映像に音を後から追加するとか、特定の音だけ取り除く技術がなかったので、映像も音も同時に収録しなくてはなりません。問題は、カタカタというキャメラの回転音。キャメラマンは、畳で囲まれた公衆電話のボックスのようなキャメラ・ブースでキャメラを回したようです。現場では様々な苦労があるんですね。

「上陸第一歩」にも出てくる労働現場。汽船が動くのは火をくべる労働者(火夫)がいるから ※「パブリックドメインの映画(根拠→)」を使用 出典:映画「上陸第一歩」(松竹) 現場人のカッコ良さを見事に演じた岡 譲二。前年(昭和6年)に日活から蒲田にきた ※「パブリックドメインの映画(根拠→)」を使用 出典:映画「上陸第一歩」(松竹)
「上陸第一歩」にも出てくる労働現場。汽船が動くのは火をくべる労働者(火夫)がいるから ※「パブリックドメインの映画(根拠→)」を使用 出典:映画「上陸第一歩」(松竹) 現場人のカッコ良さを見事に演じた岡 譲二。前年(昭和6年)に日活から蒲田にきた ※「パブリックドメインの映画(根拠→)」を使用 出典:映画「上陸第一歩」(松竹)

映画だとほとんどの場合監督と俳優にしか脚光が当たりませんが、キャメラマンや照明、脚本家、小道具・美術といった人たちの熱意ある創意工夫がなければとうてい佳作は生まれ得ないでしょう。

映画制作だけでなくあらゆる仕事に“現場”があります。

間宮茂輔

間宮茂輔は慶應大学仏文科を中退し、株屋、鉱山、灯台、出版社と労働現場を巡り、そこでの体験をもとに、のちに生産文学といわれるカテゴリーの先駆的な作品を書きました。天竜川上流の久根鉱山Map→での体験をもとに書かれたのが『あらがね』です。

・・・シャツ一枚の増山係長が受話器を握ると、古狸ふるだぬきといふ綽名あだなのある庶務主任の井田老人が紙を拡げて鉛筆を取上げた。
「……崩壊箇所は坑道を去る二百三十尺の地点。地下水の噴出に基く亀裂と、坑道枠組及び支柱の不完全、ダイナマイト使用量過多等と推定。鉱夫は全部入坑中……」
  鉱夫は全部入坑中──係長の低い復誦ふくしょうを聞いた瞬間に救援本部は色を失つた。・・・(間宮茂輔『あらがね』より)

入り口から70m(1尺は約30センチ)のところで坑道が崩落したとの連絡が入る場面です。こんな一節も、現場を全く知らない人には書けないでしょう。ただし間宮が配属されたのは経理課だったので、坑道の中に踏み込むことはなかったようで、坑道の中、いわば“現場の最前線”は体験しておらず、『あらがね』にも坑道の中の描写はなかったと記憶しています。現場の労働者に対するリスペクトがあるのみだったような。

小林多喜二

おそらく実際見たことを書くことにこだわった間宮が、戦後になって、『鯨工船』という小説で経験していない現場を書くことに挑戦しています。書名からピンときた方も多いと思いますが、小林多喜二の『蟹工船』Amazon→に触発されて書かれたものです。多喜二も蟹工船の現場を体験した訳ではありません。「思想的な強さ」と「激烈な文学的情熱」があれば、調べたことと、聞いたことだけでもあれだけのものが書けることに感服し、62歳の間宮はペンをとったのです(多喜二が『蟹工船』を書いたのは25歳の時)。

・・・曲り角で、急にまがれず、よろめいて、手すりにつかまった。サロン・デッキ で修繕をしていた大工が背のびをして、漁夫の走って行った方を見た。寒風の吹きさらしで、涙が出て、初め、よく見えなかった。大工は横を向いて勢いよく「つかみ鼻」をかんだ。鼻汁が風にあふられて、歪んだ線を描いて飛んだ。
 ともの左舷のウインチがガラガラなっている。皆漁に出ている今、それを動かしているわけがなかった。ウインチにはそして何かブラ下っていた。それが揺れている。吊り下がっているワイヤーが、その垂直線の囲りを、ゆるく円を描いて揺れていた。「何んだべ?」──その時、ドキッと来た。・・・(小林多喜二『蟹工船』より)

非人間的扱いを受ける労働者との熱い連帯意識と、こき使う側に対する激烈な反発心が多喜二のペンを走らせています。小説ではその後、労働者たちに権利意識が芽生え、団結してストライキに突入していく・・・

多喜二は前年(昭和3年)『一九二八年三月十五日』を書きました。これらの作品が天皇制国家の官吏の逆鱗に触れたのです。今でも、労働現場の最前線が明らかになるのを「社会の上層部」(搾取する層)は好まないかな?

当地(東京都大田区)には、51年間、当地の町工場で旋盤工をしながらペンをとった稀有な労働者作家・小関智弘氏がいます。工場の高いところに取り付けられた明窓めいそうについて次のように書いています。

・・・電力制限がやかましくて、節電にもなる明窓だったが、少年の茂木は、暗い天井にくっきりと光の扉をあけたようなその明窓が好きだった。ふと見あげると、そこに眼を休ませる色があった。雨や雪や、月や星も見た。よく晴れた日に、その窓明を額縁にして白いチョークでいたずら書きをしてゆくのは、朝鮮戦争いらい飛来のひんぱんになった米軍機だった。・・・(小関智弘『錆色の町』)

現場の事情が書かれ、かつ詩情も流れる。

山根貞男『日本映画の現場へ (リュミエール叢書)』(筑摩書房)。撮影現場が分かると映画がもっと面白くなる。「天城越え」(監督:三村晴彦)、「家族ゲーム」(監督:森田芳光)、「華の乱」(監督:深作欣二)の現場など 窪田新之助、山口亮子『農業のしくみとビジネスがこれ1冊でしっかりわかる教科書(図解即戦力)』(技術評論社)。日本の食料自給率は主要国の中で最低水準の38%。そのエッセンシャルな仕事について知る
山根貞男『日本映画の現場へ (リュミエール叢書)』(筑摩書房)。撮影現場が分かると映画がもっと面白くなる。「天城越え」(監督:三村晴彦)、「家族ゲーム」(監督:森田芳光)、「華の乱」(監督:深作欣二)の現場など 窪田新之助、山口亮子『農業のしくみとビジネスがこれ1冊でしっかりわかる教科書(図解即戦力)』(技術評論社)。日本の食料自給率は主要国の中で最低水準の38%。そのエッセンシャルな仕事について知る
竜田一人『いちえふ 〜福島第一原子力発電所労働記(1)〜 (モーニング KC) 』(講談社)。これが「原発の現実」 「蟹工船」。山村 聰主演・初監督作品。音楽:伊福部 昭。主演:森 雅之、浜村 純、花沢徳衛ほか。昭和28年公開
竜田一人『いちえふ 〜福島第一原子力発電所労働記(1)〜 (モーニング KC) 』(講談社)。これが「原発の現実」 「蟹工船」。山村 聰主演・初監督作品。音楽:伊福部 昭。主演:森 雅之、浜村 純、花沢徳衛ほか。昭和28年公開

■ 馬込文学マラソン:
間宮茂輔の『あらがね』を読む→
小関智弘の『大森界隈職人往来』を読む→

■ 参考文献:
●『人物・松竹映画史 蒲田の時代』(升本喜年 平凡社 昭和62年発行)P.178-179、P.229-233 ●「岡 譲司(岡 譲二)」※「20世紀日本人名事典 」(日外アソシエーツ)に収録コトバンク→ ●「上陸第一歩」日本映画データベース→ ●『六頭目の馬 〜間宮茂輔の生涯〜』(間宮 武 武蔵野書房 平成6年発行)P.47、P50-51、197

※当ページの最終修正年月日
2023.4.14

この頁の頭に戻る