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「母」で特筆すべきは、約60人の応募者から選ばれた子役。後のデコちゃん、こと高峰秀子(5歳)です。高峰の家族は東京鶯谷で二階借りをしていましたが、階下の家主の友人が蒲田の俳優の野寺正一(43歳)で、その関係で養父に連れられて選考に飛び入りで参加。そうしたところ、白羽の矢が立ったのでした。高峰のあまりの可愛さに日本中がニコニコになったのでしょう。以後“天才子役”として、五所平之助、島津
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| 映画「母」の一場面。左より、高峰秀子、川田芳子、小藤田正一 ※「パブリックドメインの映画(根拠→)」を使用 出典:『わたしの渡世日記(上)』(高峰秀子) |
高峰の“通勤”の便を考えて、家族は当地(東京都大田区北蒲田 Map→)に越してきます。撮影はざらに深夜にまでわたり、高峰は、蒲田尋常高等小学校(現・大田区立蒲田小学校(東京都大田区蒲田一丁目30-1 Map→)に在籍しますが、通えるのは月に3~4日ほど。出席しても授業には全くついていけませんでした。1~2年の時の指田という先生は、高峰が地方ロケに出発する際、駆けつけてきて、子ども用の雑誌を2〜3冊差し入れてくれたそうです。高峰はそれで文字を覚えました。後年回想して「指田先生を思うとき、感謝とか恩人とか、そんな言葉ではとうてい表現できない、胸に溢れてくる得体の知れない感情に、思わず、あれはやっぱり神様だったと手を合わせたくなる」と書いています。
高峰が当地にいたのは、昭和12年(13歳)、松竹から東宝へ移籍するまでの約7年間。途中、歌手の
子役として一世を風靡した高峰でしたが、子役について後年こんな風に書いています。
・・・映画やテレビで、ジャリタレという虫ずの走るような呼び名を与えられた
当時の私のような陰湿さもみえず、彼らは彼らなりに、それこそ何もかも承知の上で、演技をすることに嬉々としているのかもしれないが、私の眼から見れば、どうしても「大人に作られたコマッシャクれた人造子供」である。子供はいずれ成長すればイヤでも大人になる。せめて子供のときくらいは、自然な子供の世界で、子供らしく遊ばせ、子供同士の会話を持たせてやって欲しいと私は願う。仕事で子役と付きあうたびに、その子役が上手ければ上手いほど、私は「この子はいま何を考えているのだろう」と心が震えてならない。・・・(高峰秀子『わたしの渡世日記』より)
さんざん苦労してきた人の言葉には、説得力があります。
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突貫小僧 |
子役といえば、松竹蒲田撮影所には、“突貫小僧”もいました。「かわいい」高峰とは違って、見るからに「悪ガキ」(笑)。映画「母」と同じ昭和4年11月に公開された小津安二郎監督の「突貫小僧」に出て人気を博し、本名は青木富夫ですが、子役時代はずっと“突貫小僧”と呼ばれました。
横浜の実家が営む酒場に蒲田の俳優が出入りしていた縁で、“突貫小僧”は松竹蒲田撮影所に遊びに来るようになり、小津安二郎に見出されたようです。“突貫小僧”が出演した小津の「生まれてはみたけれど」(昭和7年)、「出来ごころ」(昭和8年)、「浮草物語」(昭和9年)はどれもキネマ旬報ベスト・テンの第1位。一人の監督が3年連続で1位の記録は今もやぶられていないとのこと。“突貫小僧”が果たした役割も小さくなかったことでしょう。
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| 映画「突貫小僧」の一場面。左より、斎藤達雄、突貫小僧(青木富夫)、坂本 武 ※「パブリックドメインの映画(根拠→)」を使用 出典:『あゝ活動大写真 〜グラフ日本映画史(戦前編)』(朝日新聞社) |
“突貫小僧”が、高峰について、
・・・高峰秀子は、ほかの女の子役とは違う。女の子役に見られる
と言っています。“突貫小僧”から見ても、高峰は一種の“天才”だったのでしょう。
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| 映画「母」(松竹)。監督:野村芳亭。高峰秀子のデビュー作。昭和4年、5歳 | ドラマ「北の国から 1」。子らの長期にわたる成長譚。純(小学校4年。演:吉岡秀隆)と、蛍(小学校2年生。演:中嶋朋子) |
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| 「地下鉄のザジ」。地下鉄のストライキで混乱するパリでの、少女ザジ(演:カトリーヌ・ドモンジョ)の大冒険。監督:ルイ・マル | 映画「スタンド・バイ・ミー」。12歳4人組の2日間の冒険。子どもたちも傷を抱え必死に生きている |
■ 参考文献:
●『人物・松竹映画史 蒲田の時代』(升本喜年 平凡社 昭和62年発行)P.169-171 ●『わたしの渡世日記(上)(文春文庫)』(高峰秀子 平成10年初版発行 平成23年発行12刷)P.34-188 ●「わが町あれこれ 5号」 (城戸 昇編・発行 平成7年発行)P.46-47 ●「高峰秀子の旅と本棚(「芸術新潮」没後一周年特集)」(平成23年12月号)P.20、P.52-53
※当ページの最終修正年月日
2024.11.28