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““怪物”に抗する(嘉永6年7月12日(1853年)、勝海舟、海防意見書を幕府に提出)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勝 海舟の指。東京都墨田区役所の「うるおい広場」(東京都墨田区吾妻橋一丁目23 Map→)の勝 海舟像より。 木内禮智きうち・れいち 作。●全体像→ ●刀の つばさや あたり( 紙縒 こよ りで結んで刀が抜けないようにしてあった)→

勝海舟

嘉永6年7月12日(1853年。 勝 海舟(30歳)が、「海防意見書」を幕府に提出しました。「7月12日」という日付は、高峰康修氏作成の「勝 海舟略年譜」を参照。『勝 海舟全集2』(編:江藤 淳 講談社 昭和57年発行)には「七月」とだけあります。「7月12日」は1度目の黒船が退去した6月12日のちょうど1ヶ月後です。

の意見書は2本残っており、1本目は急を要する課題を取り急ぎ書いたもので、2本目は幕府首脳からの質問に答える形で、より詳しく書かれています。

1本目は、幕府の 御徒頭 おかち・がしら (江戸城の警護に当たる「御徒組」の長)だった大久保忠寛(一翁)(34歳)のすすめで書かれたと推測されてますが、幕府の体制の不備を指摘するものであって、は命がけで書きました。が野戦砲の鋳造を試みた際、 鋳物師からの500両という賄賂を突っぱねたという噂を耳にし、大久保に関心を持ったといわれています。

の海防論が幕府に届いたのは、老中首座(現在の内閣総理大臣相当)の阿部正弘(33歳)が、和親と通商を求める米国の要望書(米国大統領の国書)にどう対応したらいいか、広く意見を求めたからです。国書を持参したペリーは軍艦4隻で来航し、 軍事力を見せつけて有利にことを運ぼうとの意図が見え見えで、幕府はその対応に苦慮しました。

御三家をはじめとする大名から深川の材木問屋の主人に到るまで、様々な人から意見が寄せられましたが、その中で、極めて合理的な考えにたったの意見が注目されました。

は「海防意見書」(大船住人氏による現代語訳→)で、江戸の防御のため、江戸湾(東京湾)の各所に台場(砲台)を築き、その他の場所にも爆弾除けの防壁を作ること、その後で軍艦を建造し、それらを操れる人材を育成すること、人材育成のために、日本、中国、西洋の軍事、天文、地理、築城、機械などの図書を収集することなどを提言しました。

さらには、それらにかかる莫大な費用は、税金に頼ると庶民の生活に支障をきたすので、貿易で得た利潤で賄うこと、困窮している下級武士を登用し、成績によって報酬を惜しみなく渡し気を出させること、また、火薬の原料などは、商人に任せると暴利を貪ろうとするので、幕府が直接に管理することなども提言、今の政治家にも聞かせたい内容ですね?

刮目したいのが、相手の力を知らないために、相手を恐れず、「攘夷だ!攘夷だ!」と 威勢がいい連中が跋扈するだろうことも予見している点。その後、日本は、この「攘夷だ!攘夷だ!」のアホな連中に掻き乱されていきます(現政権に連なる明治政府の母体になった人たちも最初はそういう人たちだったので、あまり言ってはいけないことになっている?)。

勝海舟
コロンブスがやって来た

幕末時に日本に来航した米国のように、軍事的、経済的、政治的、文化的な優位性を示して、他民族に支配的な影響力を及ぼそうとするあり方を「帝国主義」といいます。広大な領土を獲得したローマ帝国(前27年-1453年)に由来する言葉ですが、以後、多義的に用いられてきました。あらゆる「力」が他に有無をいわせない形で作用すれば「暴力」となりますが、それを国家レベルで用いれば「帝国主義的傾向」となり、その行使される暴力は「帝国性暴力」となります。

1400年代末からの新航路開拓の先駆けとなったスペイン・ポルトガルは到達地点を勝手に自国の領地としていき、スペインはパナマ地峡周辺、メキシコ、ペルーを征服し、アステカ王国を滅ぼし、インカ帝国も征服。

ボブ・マーリーの故郷・ジャマイカも、コロンブスの来航(1494年)後15年でスペインに征服され(1509年)、設置されたサトウキビのプランテーションで先住民のアラワク族は酷使されて激減、スペインは労働力確保のため奴隷貿易で西アフリカから奴隷を連れてきました。全くひどい話。

Old pirates, yes, they rob I
Sold I to the merchant ships
Minutes after they took I from the
Bottomless pit
But my hand was made strong・・・(Bob Marley「Redemption Song」より)

昔、略奪者どもが俺を捕まえ、
奴隷船に売り飛ばし、
それで、奴らは船底の俺を引きずり出したんだ
でも、俺の手は頑丈なのさ・・・(ボブ・マーリー「救いの歌」より)

最初に産業革命に成功し近代資本主義体制を確立した英国も、世界市場を圧倒的に支配し、植民地を増やしていきました。英国の1%の正義もない「アヘン侵略」(「アヘン戦争」とも。1840年)もその流れで起きました。

興味深いことに、ダーウィンが「強きが弱きを淘汰する」といった「進化論」(適者生存・自然淘汰)を体系化したのが1859年で、この学説の広まりと「帝国性暴力」の蔓延とはほぼ軌を一にしています。「強国」と「弱国」(「文明国」と「野蛮国」、 「先進国」と「後進国」)があるなら、前者が後者を淘汰したり、治めるのは当然であり、後者からむしろ感謝されるべきだろ?といった、それこそ野蛮な思想跋扈ばっこ 、「進化論」はそれに利用されました(今も「進化論」を悪用する人がいますよね?)。「それぞれの民族に独自の尊重されるべき文化体系がある」といった文化人類学的知見、ある意味当たり前なことを、世界中の人が一日も早く理解するようになりますように。

日本の愚かさは、中国と同様列強の「帝国性暴力」に晒されたのに、明治になると、いち早く西洋の技術を習得し、国力(軍事力や経済力)の増強に成功し、すると、今度は自身が「帝国主義的傾向」を示すようになって、他のアジア諸国に対して「帝国性暴力」を発揮していくようになったこと。いじめられっ子が、いじめっ子になったようなもの。日本は、嘉永6年(1853年)の勝 海舟の「海防意見書」あたりに戻って、やり直した方が良さそうです。

木谷 勤 『帝国主義と世界の一体化 (世界史リブレット)』(山川出版社) 陳 舜臣『阿片戦争 (一)(新装版) (講談社文庫)』
木谷 勤『帝国主義と世界の一体化 (世界史リブレット)』(山川出版社) 陳 舜臣ちん・しゅんしん『阿片戦争 (一)(新装版) (講談社文庫)』
幸徳秋水『二十世紀の怪物 帝国主義 (光文社古典新訳文庫)』。幸徳秋水はレーニンよりも早く帝国主義の問題点を指摘。幸徳は明治44年、国に殺される 渡辺久義、原田 正『ダーウィニズム150年の偽装 〜唯物論文化の崩壊と進行するID科学革命〜』(アートヴィレッジ)
幸徳秋水『二十世紀の怪物 帝国主義 (光文社古典新訳文庫)』。幸徳秋水はレーニンよりも早く帝国主義の問題点を指摘。幸徳は明治44年、国に殺される 渡辺久義、原田 正『ダーウィニズム150年の偽装 〜唯物論文化の崩壊と進行するID科学革命〜』(アートヴィレッジ)

■ 馬込文学マラソン:
子母沢 寛の『勝 海舟』を読む→

■ 参考文献:
●「勝 海舟 〜その功績と人となり〜」(高峰康修)日本論語研究会→ ●『勝 海舟全集 2』(編:江藤 淳 講談社 昭和57年発行)P.255-261  ●「勝 海舟の出世作 ─海防論文」(大船住人)ようこそ大船庵へ→ ●『現代視点 勝 海舟』(旺文社 昭和58年発行)P.28-29、P.182 ●「帝国主義」(吉家清次)※「日本大百科全書(ニッポニカ)」(小学館)に収録コトバンク→ ●『詳説 世界史研究』(編集:木下康彦、木村靖二、吉田 寅 山川出版社 平成20年初版発行 平成27年発行10刷参照)P.273-278

※当ページの最終修正年月日
2024.7.12

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