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情報の流通とモノの流通(昭和48年10月31日、トイレットペーパー騒動が起こる)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和48年10月31日(1973年。 )、マンモス団地を抱える大阪の「千里ニュータウン」のスーパーマーケット「千里大丸プラザ」(後の「大丸ピーコック(千里中央店)」)(豊中市新千里東町一丁目1-1 Map→ ※令和5年閉店)で、「トイレットペーパー騒動」が起きました。前日(10月30日)にトイレットペーパー安売りのチラシが入り、当日、開店前のスーパーに、200人以上の行列ができ、通常の4倍の売れ方でたちまち売れ切れたというものです。

これだけなら騒動というほどのことでありませんが、その後が大変です。トイレットペーパーだけでなく砂糖、塩、醤油、洗剤なども品薄になりスーパーの棚から消え、それが全国的な現象となり、しかも、かなりの期間に及ぶという事態となりました。スーパーの商品棚に殺到する人に押されて転倒、重傷を負う人まで出ます。

1枚のチラシごときで、なぜ、こんなことになったのでしょう?

1つには、「第一次オイルショック」(第四次中東戦争(昭和48年10月6日-23日)を契機に石油輸出国が石油の輸出を制限し始めた)の影響で、諸物価が高騰していたこと。石油への依存度が高かった日本(世界の石油依存度は47%ほどでしたが日本は77%に達していた)は、あらゆる産業と生活でその影響を大きく受けました。紙の値段も高騰し、政府が紙の節約を呼びかけます。それが反対に、「紙がなくなる」といった流言りゅうげんが起こり、急ぎ買いや買いだめを促す結果になったようです。

マスコミの伝え方にも問題がありました。上記の行列や買いだめの様子を不用意に報道したために、騒動が全国に広がりました。

政府がトイレットペーパーの増産を促し、品不足に便乗した値上げを阻止するためにトイレットペーパーを「投機防止法」の対象にし、石油輸出国との関係を修復するなど尽力したため、騒動は翌昭和49年3月末にようやく収束しましたが、騒動は約5ヶ月間という長きにわたりました。

情報(流言)の流通(伝達、伝播、拡散)」と「モノの流通」との密接な関わりは、興味深くもあり、おそろしくもあります。

トイレットペーパー

ご記憶のように、「トイレットペーパー騒動」は、令和元年(2019年)からの新型コロナウイルス流行下でも起きました。

オイルショック下での「トイレットペーパー騒動」は実際の紙不足が影響しましたが、コロナ禍下ではそういうことは聞きませんでしたが・・・。

コロナ禍下での「トイレットペーパー騒動」の原因についてもいろいろ考察されています。

オイルショック下での騒動の引き金はスーパーの1枚のチラシでしたが、コロナ禍下での引き金はTwitter(現、X)のツイートだったと推測されています。何気ない「今日はトイレットペーパーがあまりなかった」とか、「普段より多めに買っておいた」といったツイートが、共感を呼び、「私のところでも」と、どんどん拡散して、急ぎ買いや買いだめの後押しをしたようなのです。ツイートに添付された写真を見た人はその現場をリアルに感じたでしょうし、また、オイルショック下での騒動を想起した人もいたことでしょう。

興味深いのは、政府や生産者団体の訂正情報(「トイレットペーパーは十分にあります、慌わてて買いだめしないように」といった)をマスメディアが伝えるようになってから、騒動のピークがやってきたということ。個人的なツイートでの流言の拡散は拡散といっても限られたものでしたが、マスメディアを通しての情報は、ある程度信頼性が担保されており(あくまでもですが)、多くの人が安心して拡散、それが情報の爆発的拡散につながったようです。個人的な流言の段階で騒動を知らなかった人もそれで騒動を知り、「では、念のために」とスーパーに突進したのでしょう。情報の伝え方は難しいですね。

オイルショック下での騒動は関西から全国へ徐々に広がっていきましたが、コロナ禍下での騒動はTwitterなどのSNSを介してたちまち全国に広がりました。マスメディアを介さずに個人が気軽に広い範囲に発信できるSNSの発信力は素晴らしいですが(拡散も早かったが収束も早かった。とはいえ、収束に2ヶ月を要した)、同時に、強烈な破壊力も有することは心せねばなりませんね。

2つの騒動から、「情報(流言)の流通(拡散)」と「モノの流通」が車の両輪であることがよく分かります。

黒曜石の鏃

近隣への贈与や交換は発祥したばかりの人類もやっていたのでしょうが、遠方へのモノの伝播(流通)はいつ頃からあったのでしょう?

考古学では、黒曜石の流通に注目されています。黒曜石を原材料とした石器は各地で見つかっていますが、黒曜石の産地は限られています。黒曜石の産地と黒曜石の石器が発掘された場所とをつないでいくと、先史時代の流通の実態が浮かび上がってくるようです。黒曜石は元素分析によって産地を推定しやすいとのこと。

硬くて、美しくて、実用性のある黒曜石は、先史時代の人びとを魅了したことでしょう。その噂(情報)が最初に伝わり、それを得るために、それこそ命がけの冒険をした先人もいたかもしれません。

なんと、「二枚橋遺跡」(青森県むつ市大畑町大畑道 Map→)で発掘された石偶(石製の人形)は、500kmほど離れた「和田峠」(長野県小県郡長和町和田 Map→)産の黒曜石で作られているとのこと!

相沢忠洋が日本に無土器時代(旧石器時代)が存在したことを立証した石器も黒曜石でできたものでした。

近世(安土桃山〜江戸時代)になると、船を使った水上輸送が大きな発展を遂げます。大阪や江戸などの大きな消費都市を支えたのは、牛馬を使った陸上輸送ではなく、積載量が大きく、ゆえに運搬コストを低廉に抑えることができる水上輸送だったのです。江戸近郊の当地(現・東京都大田区)を流れる多摩川も、流域で生産された米・材木・薪・炭・砂利・砂・肥料などを江戸へ送る輸送路として大きな役割を果たしました。モノが流通したということは、情報も流通したことでしょう。徳川幕府は東海道などの諸街道も整備、陸上輸送の利便性も高めました。

近代(明治時代〜)になると、鉄道が敷かれ、一定量のモノを水上輸送よりスピーディーに運べるようになります。

明治時代の末から人類は空を行き来するようになりますが、航空機が目覚ましい発展を遂げるのは第二次世界大戦後です。航空輸送によって世界規模の高速な流通が可能になりました。現在では、3Dプリント技術により、モノを瞬時に地球の裏側まで届けることも可能。

首藤若菜『物流危機は終わらない 〜暮らしを支える労働のゆくえ〜(岩波新書)』 堤 隆『黒曜石 3万年の旅 (NHKブックス)』。大昔から流通が盛んだったことを黒曜石がもの語る
首藤しゅとう 若菜『物流危機は終わらない 〜暮らしを支える労働のゆくえ〜(岩波新書)』 堤 隆『黒曜石 3万年の旅 (NHKブックス)』。大昔から流通が盛んだったことを黒曜石がもの語る
村田沙耶香『コンビニ人間(文春文庫)』。流通の世界で生きる一人の呟き。第155回芥川賞受賞作 「スーパーの女」。監督・脚本:伊丹十三、出演:宮本信子、津川雅彦ほか。「日本アカデミー賞」優秀作品賞受賞作
村田沙耶香『コンビニ人間(文春文庫)』。流通の世界を生きる一人の呟き。第155回芥川賞受賞作 「スーパーの女」。監督・脚本:伊丹十三、出演:宮本信子、津川雅彦ほか。「日本アカデミー賞」優秀作品賞受賞作

■ 参考文献:
●『昭和史写真年表(元年〜51年)(一億人の昭和史)』(編集長:牧野喜久雄 毎日新聞社 昭和52年発行)P.216 ●「ある日突然、店頭からトイレットペーパーが消える…35年前の「オイルショック」騒動」(中嶋隆吉)紙への道→ ●「コロナ禍におけるトイレットペーパーを巡る流言と訂正情報流布の実態 〜オイルショック時の買い占め騒動と比較して〜」(土屋瑚乃香このか )※「明星大学社会学研究報告」(明星大学社会学研究報告編集委員会 令和5年発行)に収録 ●「黒曜石原産地分析による先史時代の石材流通に関する基礎的研究」(鹿又かのまた 喜隆、井上 巌、柳田敏雄)※「文化」(東北大学文学会 平成27年発行)に収録東北大学機関リポジトリ→ ●「多摩川の水運と村々」(平野順治)※『大田区史(中巻)』(東京都大田区 平成4年発行)P.636 ●「航空輸送」(秋葉 明)※「日本大百科全書(ニッポニカ)」(小学館)に収録コトバンク→

※当ページの最終修正年月日
2024.10.31

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