湯河原にて。右から芥川龍之介、南部修太郎、小沢碧堂。後ろに写っているのは「中西屋」の前にかかっていた中西橋だろう(両岸から斜めに走る橋脚に特徴がある ※昔の「中西屋」外観(photo→)) ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:『芥川龍之介(新潮日本文学アルバム)』
大正10年10月1日(1921年。
、芥川龍之介(29歳)が、湯河原
の旅館「
中西
屋」(神奈川県
足柄下郡
湯河原町
宮上
Map→ ※現在は中西と書かれた「中西橋」だけが残る)へ静養に出かけ、その後20日ばかり逗留しています。
同年(大正10年)3月から7月までの約4ヶ月間、大坂毎日新聞社の海外視察員として中国へ赴きましたが、旅の途上、肋膜炎を患うなど体調を崩し(現地で3週間ほど入院)、帰国後も神経衰弱などに悩まされていました。その後も芥川はしばしば「中西屋」を使っています。芥川の『トロッコ』(青空文庫→)、『百合』(青空文庫→)に湯河原がでてきますが、芥川が「中西屋」に逗留している時頻繁に出入りした力石平蔵(湯河原の人で金星堂の校正係。芥川のファンだった)から聞いた話が元になっているようです。
3度目の湯河原逗留時(大正15年2月8日)には「中西屋」から当地(東京都大田区)在住の歌人・片山広子に手紙を出しています(片山とはかつてから親交があった)。お見舞いのお礼と自らの病状・状況を説明した後に、
・・・湯河原の風物も病人の目にはどうも頗る憂鬱です。唯この間山の奥の隠居梅園と申す所へ行き、修竹梅花の中の茅屋
〔かやぶき屋根のあばら家〕に澁茶を飲ませて
貰つた時は、僕もかう言ふ所へ遁世
〔世間から逃れること〕したらと思ひました。・・・
と書きつつも、西行や芭蕉の時代と違って、当節では遁世にもお金がかかって難しい、と悩みの堂々巡り。芥川の過労もピークに達していたようです。芥川が自死するのは、この手紙の1年と5ヶ月後。
芥川が逗留した「中西屋」には、国木田独歩も逗留し『湯河原より』(青空文庫→)を、宇野浩二も逗留し「湯河原三界」を書いています。湯河原は東京からも汽車一本ですっと行けて、湯もあり、山あり海ありで人気がありました。
「中西屋」と藤木川を挟んだ向かいに「天野屋」というやはり大きな旅館がありました(現在「町立湯河原美術館」(神奈川県足柄下郡湯河原町宮上623-1 Map→ Site→)が建っているあたり)。大正5年、夏目漱石(49歳)がリューマチ治療のため「天野屋」に逗留しています。同年5月より漱石は『明暗』(Amazon→)を「朝日新聞」に連載。昔の彼女が流産し、湯治している宿はおそらく「天野屋」がモデルで、最後の回(第188回)で2人が昼から向かおうとする「滝」は、おそらく「不動の滝」(湯河原町宮上750 Map→)なのでしょう。『明暗』はまだ続くはずでしたが、胃潰瘍が悪化して漱石は倒れ、未完に終わりました(漱石は18日後に死去。未完ながらも漱石の最長の小説となる)
6年前の明治43年、幸徳秋水(39歳)が「天野屋」に逗留中、逮捕されています。秋水が自由の身で見た最後の娑婆の景色は、湯河原の山河だったのですね。内縁の妻の管野スガ(彼女も「明治43年のフレームアップ事件」(俗に「大逆事件」)で処刑される)が逗留する「天野屋」に、小泉策太郎の勧めで秋水はやってきたのでした。『明暗』の登場人物に一脈通じます。 漱石は『明暗』を書きながら、秋水のことを思い浮かべたことでしょう。
「中西屋」と「天野屋」はもうありませんが、島崎藤村が
定宿
とし、日本近代文学の金字塔『夜明け前』の想も練ったという「伊藤屋」(神奈川県足柄下郡湯河原町宮上488 Map→ Site→ ※登録有形文化財)は今も営業しています。「二・二六事件」(昭和11年)で襲撃対象になった元内大臣・牧野伸顕(75歳)は「伊藤屋」の別館「光風荘」に宿泊していました。襲撃の責任者・
河野 壽
(28歳)らが偵察するために宿泊した本館の客室は現在も客室として利用されています(Photo→)。「光風荘」は襲撃のさい全焼しましたが、再建され、見学が可能。ガイドの方がいろいろ説明してくださいます(Site→)。
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「中西屋」と「天野屋」の間を藤木川が流れていた |
藤木川は落合橋で千歳川に合流、海へと |
湯河原温泉は昔からのもので、「万葉集」にも詠まれています。東国の温泉で「万葉集」で詠まれているのは湯河原だけなんだそうです。
足柄の土肥の河内に出ずる湯の
世にもたよらに子ろが言はなくに
「足柄
」は足柄
で(湯河原は現在も足柄下郡に属する)、湯河原には今も「土肥」という地名が残っています。「河内」は川が巡る地域のことで、湯河原のことを詠んだ歌とされています。「たよら」は「たゆたう」などにも連なる、ゆらゆらと頼りない様で、温泉の湯気がイメージされます。力強く湧き出る「お湯」と、ゆらゆらと頼りない「湯気」の対比があり、現代語訳すれば、湯のように僕の思いは
渾々と湧き出るというのに、君(子ろ ※「ろ」に親愛の情がこもる)は何も言ってくれないんだね、といった感じでしょうか。
山本有三が、当地(東京都大田区山王三丁目45-3 Map→)から湯河原(湯河原町宮上339-1 Map→ Photo→)に転居したのは昭和28年(山本66歳)です。昭和49年(86歳)に死去するまでの20年間住んでいます。周辺は緑豊かで、「理想郷」と呼ばれています。芥川がなし得なかった“遁世”に山本は成功したようですね。
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芥川龍之介『蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ 他十七篇(岩波文庫)』 |
河野 司『二・二六事件秘話 (KAWADEルネサンス)』。著者は、湯河原の牧野伸顕襲撃の責任者・河野 壽の兄。事件の裏面 |
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西村京太郎『熱海・湯河原殺人事件(新装版)』(中央公論新社)。西村は平成8年、療養をかねて湯河原に移転、「西村京太郎記念館」(湯河原町宮上42-29 map→ site→)が建つ |
「日本の悲劇」(松竹)。監督・脚本:木下惠介。戦争未亡人の春子は、2人の子どものため身をていして金を稼ぐ。そんな母を子どもたちは理解できない。そして湯河原駅の場面へと・・・。出演:望月優子、桂木洋子、佐田啓二、高橋貞二、上原 謙ほか |
■ 馬込文学マラソン:
・ 芥川龍之介の『魔術』を読む→
・ 片山広子の『翡翠』を読む→
■ 参考文献:
●『芥川龍之介(新潮日本文学アルバム)』(昭和58年初版発行 昭和58年2刷参照)P.65-66、P.106-108 ●『夏目漱石(新潮日本文学アルバム)』(昭和58年初版発行 平成13年発行18刷参照)P.95、P.107 ●『山本有三(新潮日本文学アルバム)』(昭和61年発行)P.72-77、P.107-108 ●「湯河原観光会館(湯河原町宮上566 map→)/郷土資料館」展示資料 ●『口訳万葉集(下)(折口信夫全集第五巻)』(中央公論社 昭和30年初版発行 昭和47年発行新訂再版参照)P.179 ●「名画周遊:湯河原」(写真・文/織田城司)(site→) ●「芥川龍之介 片山廣子関連書簡16通」(編・注:藪野唯至)(site→) ●「相模の名湯「土肥」〜湯河原〜」(かながわ歌枕 〜読み継がれたイメージの系譜)(神奈川県)(site→)
※当ページの最終修正年月日
2024.10.1
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