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大正2年8月15日(1913年。 志賀直哉(30歳)が、東京芝浦海岸(map→)の納涼祭で素人相撲を見た帰り、里見 弴(25歳)と夜道を歩いていて、山手線の列車にはねられています。 嵐山光三郎さんの『文人暴食』(Amazon→)には、「里見との精神的軋轢から発作的に走ってきた列車に飛びこみ」とあります。確かに、里見とはいろいろあったのでそんなとこだったのかもしれません。または、太平洋戦争後もしばらくは線路を歩く人が少なくなかったようなので、祭りの帰り、ふざけて、または気分が高揚してか、はたまた近道しようとしたかで、線路に立ち入って、列車に引っ掛けられたのかもしれません。直後に自分で病院を指定し電話するよう頼んだというので(里見に?)、死ぬ気ではなかったのでしょう。『
前年(大正元年)の11月より、志賀は「自活」を志し(父親との確執もあった)、広島県の尾道で一人暮らしを始めていましたが、5ヶ月後の翌大正2年の4月に上京、その間に事故がありました。尾道の長屋の家賃はまだ払い続けていましたが、体は東京にあり、身体的にも精神的にも不安定な時間だったことでしょう。その頃の志賀は人生の問題を前に深く悩み、かなり混乱もしていました。 この「謎の事故」の前(同じ日)、志賀は『出来事』という短編小説を書き上げています。けだるい空気の電車内が、ちょっとした出来事でパッと明るくなる様を描いたもので、味わい深い一編。 志賀の小説で鉄道が出てくるものは少なくありません。志賀の時代は鉄道が全国隈なく伸展する過程にあり、“夢のある乗り物”だったのでしょうね。『網走まで』(明治41年志賀25歳)も、電車内の描写に終始するまさに「鉄道文学」。汽車で向いに坐った若い母親と、母親が連れているきかん気な少年とアーアー泣く赤ん坊とが描出されているだけなのに、やはり面白い。『出来事』も『網走まで』も、新潮文庫の 『清兵衛と瓢箪・網走まで』(Amazon→)に収録されています。 昭和12年発行された川端康成(37歳)の『雪国』(Amazon→)にも「鉄道文学」の側面があります。あまりに有名な冒頭の「 ・・・外は夕闇がおりてゐるし、汽車のなかは明りがついてゐる。それで窓ガラスが鏡になる。けれども、スチイムの トンネルができて生まれるものもあれば、失われるものもあります。牧野信一の自伝的小説『熱海線私語』(Amazon→ 青空文庫→)は次のように書き出されます。 一九三四年、秋、──伊豆、丹那トンネルが開通して、それまでの「熱海線」といふ名称が抹殺された。そして「富士」「つばめ」「さくら」などの特急列車が快速力をあげて、私達の思ひ出を、同時に抹殺した。帝国鉄道全図の上から見るならば、
「鉄道文学」といえば、幻想的でハートフルな宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』や、鉄道工事の現場を舞台に少年の心を描いた芥川龍之介の『トロッコ』(Amazon→ 青空文庫→)を思い浮かべる方もいるかもしれません。
走行中の列車は密室ですし、舞台が移動する面白さもあるし、時刻表という小道具もあるし、様々な人物を同時に登場させることもできるし、鉄道はミステリーの格好の舞台となります。アガサ・クリスティーの『オリエント急行殺人事件 』(Amazon→)、当地(東京都品川区)出身の西村京太郎の「
鉄道と鉄道を結ぶ“駅”も、出会いや別れの場として、数々の文芸作品や映画に印象的に出てきます。
■ 馬込文学マラソン: ■ 参考文献: ※当ページの最終修正年月日 |