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ある鉄道文学(昭和12年6月12日、川端康成の『雪国』、出版される)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

志賀直哉

大正2年8月15日(1913年。 志賀直哉(30歳)が、東京芝浦海岸map→の納涼祭で素人相撲を見た帰り、里見 弴(25歳)と夜道を歩いていて、山手線の列車にはねられています。

嵐山光三郎さんの『文人暴食』Amazon→には、「里見との精神的軋轢から発作的に走ってきた列車に飛びこみ」とあります。確かに、里見とはいろいろあったのでそんなとこだったのかもしれません。または、太平洋戦争後もしばらくは線路を歩く人が少なくなかったようなので、祭りの帰り、ふざけて、または気分が高揚してか、はたまた近道しようとしたかで、線路に立ち入って、列車に引っ掛けられたのかもしれません。直後に自分で病院を指定し電話するよう頼んだというので(里見に?)、死ぬ気ではなかったのでしょう。『 さき にて』の草稿『いのち』によると背骨と頭を打って「ザクロのやうに口を開いて、下に骨が見えてゐた」とあり、日記によると傷の大きさは一寸四分(4.2cmほど)。「東京病院」(現・「東京 慈恵会 じけいかい 医科大学付属病院」(東京都港区西新橋三丁目19-18 map→)に8月27日まで入院しました(当日を含め13日間)。

前年(大正元年)の11月より、志賀は「自活」を志し(父親との確執もあった)、広島県の尾道で一人暮らしを始めていましたが、5ヶ月後の翌大正2年の4月に上京、その間に事故がありました。尾道の長屋の家賃はまだ払い続けていましたが、体は東京にあり、身体的にも精神的にも不安定な時間だったことでしょう。その頃の志賀は人生の問題を前に深く悩み、かなり混乱もしていました。

この「謎の事故」の前(同じ日)、志賀『出来事』という短編小説を書き上げています。けだるい空気の電車内が、ちょっとした出来事でパッと明るくなる様を描いたもので、味わい深い一編。

志賀の小説で鉄道が出てくるものは少なくありません。志賀の時代は鉄道が全国隈なく伸展する過程にあり、“夢のある乗り物”だったのでしょうね。『網走まで』(明治41年志賀25歳)も、電車内の描写に終始するまさに「鉄道文学」。汽車で向いに坐った若い母親と、母親が連れているきかん気な少年とアーアー泣く赤ん坊とが描出されているだけなのに、やはり面白い。『出来事』も『網走まで』も、新潮文庫の 『清兵衛と瓢箪・網走まで』Amazon→に収録されています。

川端康成

昭和12年発行された川端康成(37歳)の『雪国』Amazon→にも「鉄道文学」の側面があります。あまりに有名な冒頭の「国境くにざかい の長いトンネルを抜けると雪国であつた。 夜の底が白くなつた」にあるトンネルは、昭和6年、谷川岳の土手っ腹に穴を開けて作られた清水トンネル。かつては、舞台の新潟の越後湯沢map→に東京から行くには、群馬県から碓氷うすい峠(交通の難所 map→)を越えて長野を経由する必要がありましたが、群馬県から直に行けるようになります。川端も昭和9年から越後湯沢をしばしば訪れ、この小説が生まれました。

・・・外は夕闇がおりてゐるし、汽車のなかは明りがついてゐる。それで窓ガラスが鏡になる。けれども、スチイムのぬくみでガラスがすつかり水蒸気に濡れてゐるから、指で拭くまでその鏡はなかつたのだつた。
娘の片眼だけはかえつて異様に美しかつたものの、島村は顔を窓に寄せると、夕景色見たさといふ風な旅愁顔をにわかづくりして、てのひらでガラスをこすつた。・・・(中略)・・・鏡の底には夕景色が流れてゐて、つまり写るものと写す鏡とが、映画の二重写しのやうに動くのだつた。登場人物と背景とはなんのかかはりもないのだつた。しかも人物は透明のはかなさで、景色は夕闇のおぼろな流れで、その二つが融け合ひながらこの世ならぬ象徴の世界を描いてゐた。ことに娘の顔のただなかに野山のともし火がともつた時には、島村はなんともいへぬ美しさに胸がふる へたほどだった。・・・(川端康成『雪国』より)

牧野信一

トンネルができて生まれるものもあれば、失われるものもあります。牧野信一の自伝的小説『熱海線私語』Amazon→ 青空文庫→は次のように書き出されます。

 一九三四年、秋、──伊豆、丹那トンネルが開通して、それまでの「熱海線」といふ名称が抹殺された。そして「富士」「つばめ」「さくら」などの特急列車が快速力をあげて、私達の思ひ出を、同時に抹殺した。帝国鉄道全図の上から見るならば、 僅々 きんきん (わずか)十 マイル ? 程度の距離であるが、生れて四十年、東京と小田原、小田原と熱海の他は滅多に汽車の旅を知らぬ蛙のやうな私たちにとつては、憶ひ出の夢は全図の旅の夢よりも深く長かつた・・・(牧野信一『熱海線私語』より)

「鉄道文学」といえば、幻想的でハートフルな宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』や、鉄道工事の現場を舞台に少年の心を描いた芥川龍之介の『トロッコ』Amazon→ 青空文庫→を思い浮かべる方もいるかもしれません。

11年間(明治28〜39年)、小田原〜熱海間を走った 人車(じんしゃ) 鉄道。牧野の『熱海線私語』にも出てくる。湯河原の「味楽庵」(宮上718-43 map→)前に模型がある photo→)。 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/熱海鉄道(平成30年2月10日更新版)→ 人車鉄道からこの軽便鉄道に切り替わる。芥川の『トロッコ』は、その工事現場のトロッコ(土を運ぶ手押し車)に乗せてもらう少年の話 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/熱海鉄道(平成30年2月10日更新版)→
11年間(明治28〜39年)、小田原〜熱海間を走った 人車じんしゃ 鉄道。牧野の『熱海線私語』にも出てくる。湯河原の「味楽庵」(宮上718-43 map→)前に模型がある photo→)。 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/熱海鉄道(平成30年2月10日更新版)→ 人車鉄道からこの軽便鉄道に切り替わる。芥川の『トロッコ』は、その工事現場のトロッコ(土を運ぶ手押し車)に乗せてもらう少年の話 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/熱海鉄道(平成30年2月10日更新版)→

走行中の列車は密室ですし、舞台が移動する面白さもあるし、時刻表という小道具もあるし、様々な人物を同時に登場させることもできるし、鉄道はミステリーの格好の舞台となります。アガサ・クリスティーの『オリエント急行殺人事件 』Amazon→、当地(東京都品川区)出身の西村京太郎の「 十津川 とつがわ 警部シリーズ」、鮎川哲也の『憎悪の化石 』Amazon→、有栖川有栖の『マレー鉄道の謎 』Amazon→、森村誠一の『新幹線殺人事件 』Amazon→ 高木彬光 たかぎ・あきみつ の『人形はなぜ殺される 』Amazon→当地(東京都大田区)のJR蒲田操車場で事件が起こる松本清張の『砂の器』、「東京駅13番ホームからの目撃証言」を崩す名推理で知られる清張の『点と線 』Amazon→など傑作といわれるものが多々あります。

鉄道と鉄道を結ぶ“”も、出会いや別れの場として、数々の文芸作品や映画に印象的に出てきます。

牧村健一郎『漱石と鉄道 (朝日選書)』(朝日新聞出版)。令和2年発行 「宮脇俊三 〜時刻表と鉄路の旅人〜 (文藝別冊<増補新版>)』(河出書房新社)
牧村健一郎『漱石と鉄道 (朝日選書)』(朝日新聞出版)。令和2年発行 「宮脇俊三 〜時刻表と鉄路の旅人〜 (文藝別冊<増補新版>)』(河出書房新社)
映画「点と線」(東映 昭和33年公開)。原作:松本清張、監督:小林恒夫、出演:南 廣、加藤 嘉、志村 喬、高峰三枝子ほか 原口隆行 『鉄道ミステリーの系譜 (交通新聞社新書)』
映画「点と線」(東映 昭和33年公開)。原作:松本清張、監督:小林恒夫、出演:南 廣、加藤 嘉、志村 喬、高峰三枝子ほか 原口隆行『鉄道ミステリーの系譜 (交通新聞社新書)』

■ 馬込文学マラソン:
志賀直哉の『暗夜行路』を読む→
川端康成の『雪国』を読む→
牧野信一の『西部劇通信』を読む→
芥川龍之介の『魔術』を読む→

■ 参考文献:
●『志賀直哉(上)』(本多秋五 岩波書店 平成3年発行)P.79-82、P.88、P.157-163 ●「川端康成(新潮日本文学アルバム)」(昭和59年発行)P.105-106 ●『雪国』(川端康成 創元社 昭和12年初版発行 昭和15年発行48版参照)P.3、P.8-11 ●「【祝・鉄道の日】鉄道ミステリの編集者はつらいよ。ガチテツの監査も恐怖だよ。」講談社BOOK倶楽部→

※当ページの最終修正年月日
2022.8.10

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