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昭和2年7月10日(1927年。 日本初の文庫本、「岩波文庫」が創刊しました。 当時爆発的に売れていた「 ユニークなのは価格は★で表したこと。★一つは約100ページで20銭です。当時、ビールの大瓶が40銭だったそうで、ビール半本分を我慢して、古典100ページを手にする計算ですね。渋い古典などは専門家しか手に取らなかった時代、「岩波文庫」は古典を多く人に開放したのです。 第1回の発売は以下の31冊。 01 『新訓 万葉集』(編集:佐佐木信綱)(Amazon→) 万葉集、プラトン、カント、アダム・スミス、古事記、近松門左衛門、松尾芭蕉、与謝蕪村、レッシングは当時もすでに古典(江戸時代以前)でしょうから迷いがなかったでしょうが、現代寄りの作家の選書には相当熟慮されたことでしょう。その時売れている著者の大半が、時の権力や、時の大衆、時のブーム、一部の“信者”の好みに合致した(または媚びた)もので、古典として残るのはその中のごく一握りでしょうから。夏目漱石といえどもまだ没後10年で、樋口一葉は没後30年、正岡子規は没後24年、国木田独歩は没後19年、北村透谷が没後33年。島崎藤村(55歳)、幸田露伴(59歳)、倉田百三(36歳)、武者小路実篤(42歳)は、当時の現存作家です。これらの作家が現在もなお読まれ、さほど読まれないにしてもその作品価値が高く評価されているのは、岩波書店の創刊時からの選書の的確さを物語っています。 海外の作品で、複数冊選ばれているのが、トルストイ(3冊。没後16年)、ストリンドベリ(2冊。没後15年)、チェーホフ(2冊。没後22年)。「岩波文庫」創刊時では3人ともさほど前の人ではないですね。トルストイとチェーホフは現在もたびたび取り上げられ影響力を持続しています。ストリンドベリは、宇野千代や尾崎士郎の本に時々その名が出てきます。当地(東京都大田区南馬込)の二人の住まいの本箱にも、ストリンドベリがきっと並んでいたことでしょう。 「岩波文庫」の創刊(昭和2年7月10日)は、芥川龍之介(35歳)が自殺する14日前です。第1回分に自分の名がないのを芥川はどう思ったでしょう? 文壇の寵児として突っ走って来た芥川ですから、やはり少しはショックだったかもしれません。白樺派では武者小路実篤が入って志賀直哉が入っていませんね。現在では3人の作品が相当数「岩波文庫」に取り上げられています。 100年後も200年後も1,000年後も読まれる本とはどんなものでしょう? そこに、「普遍性」があるからでしょう。時代や、特定の地域や、表面的な流行が違っても色あせない(評価を下げない)、どの時代のどの地域(国)の人が読んでも、魂を揺り動かし、一定の知見を提供しうる、人間愛(ヒューマニズム)や科学への信頼に裏打ちされたもの。100年後の遠い国に持っていっても涙される物語や詩歌であったり、200年後のどの国の科学者が読んでもそこに学びがある科学読物であったり・・・。本を選ぶ際は、“古典”にも目を向けたいものです。 「岩波文庫」はその後も続々と刊行され、平成19年時点で5,400点にものぼり、今も月1冊のペースで刊行され続けているそうです。平成2年からは古典にとらわれず現時点での有用性を優先した「岩波現代文庫(もと「岩波同時代ライブラリー」)」、平成3年からは文字の大きい「ワイド版」も同時に刊行。原則として絶版にしないで、積極的に復刊・重版を行う姿勢も素晴らしいです。取り上げている本にそれだけ自信があるということでしょう。 当サイトで取り上げている本では、志賀直哉の『暗夜行路』、川端康成の『雪国』、小島政二郎の『眼中の人』が、「岩波文庫」になっています。 「岩波文庫」に思い出のある方も多いことでしょう。 12歳くらいまで当地(東京都大田区大森駅あたり)に住んでいた高峰秀子は、俳優業が忙しくてろくに学校にも通えませんでしたが、「岩波文庫」を近所の(おそらく池上通り沿いの)本屋で買って、むさぼり読んだようです。ゲーテの『若きウェルテルの悩み』や、ハイネや石川啄木の詩集、北條民雄の『いのちの初夜』も読んだようです。 あなたの「最初の岩波文庫」は何でしょう? 「一番印象に残る岩波文庫」は何でしょう? まだ読まれていない方は、とりあえず、一冊どうでしょう?
■ 馬込文学マラソン: ■ 参考文献: ※当ページの最終修正年月日 |