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昭和5年3月5日(1930年。 より牧野信一(33歳)の小説『西部劇通信』が「時事新報」に連載されました。 タイトルの「西部劇」という言葉は、小説の中の衣装や生活のアナクロニズム(時代錯誤)を象徴しています。この時代(この小説が書かれた昭和5年頃)にはもう「西部劇」という言葉が、日本でも通用するようになっていたようです。 西部劇というと、超有名な「駅馬車」(昭和14年公開。ジョン・フォード監督)あたりからしか思い浮かびませんが、『西部劇通信』が書かれた昭和5年までに日本でどのような西部劇が公開されたでしょうか。また、そもそも西部劇とはどういった映画で、いつ頃から撮られたのでしょう。
米国の歴史を振り返ることから始めてみます。 英国は1600年代初頭(江戸時代の初め)から本格的に北米大陸東海岸に植民地を作っていき、1700年代中葉には、カナダからミシピッピ川流域に植民していたフランスとの戦争(「7年戦争」)に勝利、広大な植民地を手にしました。 英国本土では北米大陸の植民地をあくまで原料供給地・市場と捉え、植民地が独自で行う貿易や製造を規制、課税も強化しました。不満を募らせた植民地民と英国本土が武力衝突し始め、1776年、植民地議会が独立を宣言、その後の闘争(「独立戦争」)にも勝利します。「7年戦争」で英国本国に遺恨のあったフランスの陰からの支援もあり、アメリア合衆国(米国)が誕生します。 英国から独立した米国は西部(ミシピッピ川より西側)への入植を増大させます。ルイジアナをナポレオンから買ったあとは、メキシコとの国境を無視してさかんにテキサスにも入植、それを併合します。 その後、経済構造の相違から米国の北と南とが争い(「南北戦争」)、それが終結するのが1865年(江戸幕府終焉3年前)。「西部劇」の大部分は、「南北戦争」後から米国の西部への進出が一段落する1890年(明治23年)頃までのおよそ25年間の設定になっています。 北米大陸の先住民は、英国人入植当初、英国人の越冬のために援助したり、入植者にトウモロコシやジャガイモなどの栽培法を教えるなど友好的でしたが、入植者が土地を奪い、先住民を追いやるようになってからは抵抗。入植者は抵抗する先住民を虐殺したりして追い詰めていったのです。「西部劇」はこれら米国の負の歴史が一段落したあたりからの設定です。「西部劇」では抵抗する先住民をあたかも“凶暴な野蛮人”に描く傾向がありました。名作「駅馬車」ですら、先住民を恐怖の対象以上には描いていません。いつの時代も世界のどの地域でも、侵略者や略奪者は、被侵略者や被略奪者からの仕返しを恐れ、彼らを差別・蔑視・弾圧するものなのでしょう。
最初の西部劇とされるのが、明治36年に公開された「大列車強盗」(監督:エドウィン・S・ポーター 全編→)です。実在の強盗団ワイルド・バンチを題材にしたもので、列車や馬や悪漢や警官やアクションといった西部劇の要素が揃っています。このエジソン社が撮った映画は、最初の西部劇というだけでなく、ショットをつないでドラマを表現した最初の映画でもあるそうです。 大正3年発行の日本の雑誌「キネマ・レコード」に「カウボーイ映画は米国においては西部劇と称されている」とあります。このように紹介しているのは、「西部劇」が日本人にはまだ馴染みがなかったからでしょう。大正の終り頃の映画雑誌には作品名入りで西部劇の劇評が載っているので、大正年間に西部劇が周知されていったのでしょう。昭和5年に『西部劇通信』を発表した牧野は、どんな西部劇を観たでしょう? 観ないまでも、どういう形で西部劇を知ったのでしょう? 昭和6年以降の日本の中国への侵略行為を、米国を含む海外列強が厳しく非難したので、日米の仲は険悪になりました。「鬼畜米英」といったスローガンが広まりますので、牧野の『西部劇通信』も1年遅れたら発行できなかったかもしれません。
昭和20年より、また、日本でも堂々と西部劇を楽しめるようになりました。戦争に負けたおかげです。 昭和27年公開のフレッド・ジンネマン監督の「真昼の決闘」は画期的な作品でした。それまで主流だった「一人で敵に対峙することも辞さないカッコいいヒーロー」ではなく、町の人に協力を求めるも、理解されずに孤立してゆく初老の保安官を主人公にして、個人と共同体の葛藤を見事に描き切りました。 その後、昭和35年頃からは公民権運動やウーマンリブ運動の影響もあり、黒人を主人公にした西部劇(「バファロー大隊」(昭和35年公開 Amazon→)など)、先住民の側にたった西部劇(「シャイアン」(昭和39年公開 Amazon→)など)、女性を主人公にした西部劇(「荒野の女たち」(昭和41年公開 Amazon→)など)、入植者と先住民との交流を描いた西部劇(『ダンス・ウィズ・ウルブス』(平成2年公開 Amazon→)など)など、新しい素材・切り口から撮られた西部劇が公開されていきました。 昭和44年には、最初の西部劇「大列車強盗」の素材になった実在の強盗団ワイルド・バンチが、再び西部劇「明日に向かって撃て!」(ジョージ・ロイ・ヒル監督 Amazon→)の素材となり、「ワイルドバンチ」(サム・ペキンパー監督 Amazon→)で凋落の象徴として取り上げられました。“滅びの美学”(死を覚悟してもポリシーを貫く)は西部劇に通底するものですが、両作は「西部劇の時代」の終焉をも感じさせるものでした。
■ 馬込文学マラソン: ■ 参考文献: ※当ページの最終修正年月日 |