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昭和45年3月5日(1970年。 づけの「大田区民新聞」で、当地の「西六郷公園(タイヤ公園)」(東京都大田区西六郷一丁目6-1 Map→)について興奮ぎみに報じられました。開園当初、取材にきた外国人記者が、自国でも報じ、米国、オーストラリア、ニュージーランドなどでも紹介され、海外から大田区の土木部に「“タイヤの怪獣”の構造と作り方を教えてほしい」といった問い合わせが殺到したというのです。 “タイヤの怪獣”は、資材置き場で自由に遊ぶ子どもの身になって思いつくままに組み立てていったので設計図がなく、担当者はあわてて現物から設計図を起こしたそうです(笑)。「自由に遊ぶ子どもの身になる」といった言葉に、公園活性化のヒントがありそうですね。 “タイヤの怪獣”は、JR京浜東北線の蒲田駅と多摩川の間の車窓からもよく見えるので、気づいている方も多いことでしょう。
当地の「くさっぱら公園(東京都大田区千鳥一丁目1 Map→ Site→)」の取り組みも面白いです。 平成3年、近くに住む一人の女性が、区の公園課に電話したのが出発点。区の担当者も理解ある方だったのでしょう。「公園に地域の声を反映させたい」との思いに賛同する人が10人ほど集まり「みんなでつくろうひろばの会」を結成。利用者と行政が共同で運営する“理想の公園”の模索が始まりました。 公園名もワイルドな「くさっぱら」。話し合いのなかで固まってきたのは、 ・自然の状態、生態系を生かすこと ・誰もが気楽に関われる、自由に変えていける、表現できる ・価値観の違いからのトラブルをさけてルールをつくるのではなく、ぶつかりあいながらもコミュニケーションを深めていく といったもの。 刮目すべきは「自由に変えていける」こと。近年工夫された子どもが喜びそうな公園が増えてきましたが、「自由に変えていける」公園は、ここ以外に私が知りません。だいたいの公園は、穴を掘ってはいけない、草を摘んではいけない、何かを持ち込んで何かを作ってはいけないなどなど、無数の「いけない」で成り立ってますが、この公園では「変えていける」。作る自由が認められるということは、いったん作られたものを壊し新たなものを作る自由も認められるわけで、そこにはトラブルもつきものでしょう。この公園ではそのトラブルさえも、話し合いのきっかけにして、それを通して地域のより深いコミュニケーションを構築していこうというのです。日本一高い理念を掲げる公園かもしれません。それだけに困難も多いことでしょう。しかし、やりがいもあり、面白いでしょうね。
「(都立東京港)野鳥公園」(東京都大田区東海三丁目1 Map→ Site→)の試みもすばらしいです。 元は遠浅の海で豊かな自然がありましたが、高度経済成長期(昭和29年〜48年)にあたる昭和44年から埋め立てが始まり、「大井埋め立て地」となります。人工の大地でも潜在的には「風土」(自然の影響を受けた地域の特性)が存在する、と作家の加藤
園内では今までに227種もの野鳥が確認され、年間に120種ほどが飛来するそうです。特にシギとチドリについては、重要な生息地になっているとのこと。
当地(東京都大田区)には他にも、信号機のあるコースで自転車に乗れる「( ------------------------------------------------------ と、公園もいいですが、これらはいわば「大人に管理された空間」。主に昭和40年代までの子どもたちが、泥だらけになって、擦り傷だらけになって、ランニングシャツで、パンツ丸出しで、虫を追い、草をかき分け、花を摘み、石を拾い、ヘンテコなものも拾い、穴を掘り、探検の場ともなり、隠れ家ともなり、ケンカもし、宝物(エロ本や金屑やお菓子など)も隠し、若いカップルが“やる場所”ともなり、暗くなれば“魔物”も現れた、「空き地」「原っぱ」「山」「森」という名の、子どもたちが大人たちの目から解放されるアジール(避難所)、サンクチュアリ(聖なる場所)はどこにいってしまったのでしょう? そんなものは今の子にはもはや必要ないのでしょうか? それとも、望むべくもないもの(あるいは有害なもの? お塾とか習い事もあるし、危険も伴うし、不衛生だし?)になったのでしょうか?
■ 参考文献: ※当ページの最終修正年月日 |