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シルクロード(昭和40年5月29日、井上 靖、フルンゼの宿にて)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

井上靖

昭和40年5月29日(1965年。 井上 靖(58歳)が、キルギス共和国の首都フルンゼ(現・ビシュケク)の宿で目覚め、窓に迫る雪をかぶったアラ・トウ山脈( 天山てんざん 山脈の前山)を目の当たりにしました。

キルギス共和国は、天山山脈を境にして中国の 新疆しんきょう と接しています。平成3年のソ連解体にともなって完全な独立国家になりました。井上が訪れた頃はまだソ連に属し、首都ビシュケクはロシア赤軍のフルンゼ将軍の名をとってフルンゼと呼ばれていました。

井上は高校時代くらいから西域さいいき (中国の西方や、中国からみて西方の地域や国。キルギス共和国など)やシルクロードに関心を持っていましたが、それらが作品に登場するのは戦後になってです。昭和21年、奈良国立博物館で催された「正倉院御物ぎょぶつ展」で見た漆胡樽しっこそん(漆塗りの大きな樽。駱駝らくだの背の左右にかけて運ぶ)に注目、「漆胡樽」という詩を書き、4年後の昭和25年(42歳)に『漆胡樽』という小説も発表しました。遥かなる西国の物が、2000年ほども前に、砂漠をへて、海を渡り、日本に渡って来たという不思議。井上は取り憑かれたように、『玉碗ぎょくわん記』『楼蘭ろうらん』『敦煌とんこう』といった西域もの・シルクロードものを書くようになります。

これらの西域もの・シルクロードものを、井上は文献を元にして書きました。中国を訪れたことはありましたが、西域に行くのは、この時(昭和40年)が初めてだったようです。何度も頭の中に思い描いた場所に実際に足を運び、感無量だったことでしょう。

砂漠

ところで、シルクロードとは何でしょう?

和訳すると「絹の道」。中国産の絹を西域に運ぶときにたどった交易路を、ドイツの地理学者・リヒトホーフェンがそう命名しました。中国の西安シーアン (長安)を始点とし、敦煌で分岐し、パミール高原を超え、イランを横切ってアンティオキア(現・トルコのアンタキヤ。地中海沿岸。シリア王国(セレウコス朝)の首都だった)に達するもの。

路は時代により変遷し、いくつにも枝分かれしますが、主要なものは3本です。

紀元前200年頃にできた「中央路」(天山南路)は、もっとも重要な道筋で紀元300年代の前半まで盛んに使用されました。敦煌を出た後、楼蘭、コルラをへて、天山山脈の南麓をたどってパミール高原に達します。

中央路よりやや以前からあったと推測されている「南方路」は、敦煌を出て、楼蘭で中央路と分岐、アルトゥン山脈・ 崑崙こんろん 山脈の山麓とタクラマカン砂漠との境を通過してパミール高原に達するもの。

一番新しい、といっても紀元後数年してできたのが「北方路」(天山北路)です。日本ではまだ弥生時代。敦煌を出て、トルファンをへて、天山山脈の北麓をたどるもの。井上がキルギス共和国入りしてたどったのは、北方路の本路かその一支路でしょう。

シルクロードの多くが山脈と砂漠を避け、山脈の山麓部をたどっています。山麓部は高山の雪解け水が地下水になり、その地下水が湧き出てオアシスを形成。そこに町ができて、町をつなぐ形でシルクロードができました。

砂漠

オアシスの住民は、周辺の騎馬遊牧民の保護をうけ、他地域の農耕民との商取引を始め、次第に大規模な隊商(駱駝などに商品を積んで砂漠などを移動する商人の隊列)が組まれるようになります。この隊商貿易(キャラバン貿易)が莫大な富を産んだため、オアシスは繁栄し都市化していきました(オアシス都市)。紀元前200年代中頃からのことです。

隊商貿易は、サマルカンド(現在のウズベキスタンにあるオアシス古都)を中心とするソグディアナ地方出身のソグド人(イラン系民族)を中心に行われました。上記の3つの主要路から派生して、東は中国・日本、南はインド、西はビザンツ帝国(東ローマ帝国)にまで達します。当時は、ソグド語が一種の国際語でした。現在では、それら、東と西、そして南北をも結ぶ複雑に派生した道筋全体をシルクロードと呼ぶことが多いようです。

中国からの絹のほか、サマルカンドからはブドウ・メロン・ザクロなどの果実や小麦や綿花、インドからは香料、シベリアからは毛皮というように多種の商品が行き交いました。

文化も行き交い、ソグド文字はモンゴル文字や満洲文字の原型となり、 玄奘げんじょう (『西遊記』の三蔵法師のモデル)はインドにわたり仏典を中国にもたらし、日本の飛鳥文化にも中央アジア・インド・ギリシャからの影響が見られます(唐草文様やペガサス(天馬)など)。

玄奘
玄奘

玄奘は「中央路」(天山南路)をたどり、天山山脈を超えてイシククル湖(井上が行ったキルギスのビシュケク近く)にいたり、なおも西に行きタシケントの方から大山脈地帯(崑崙山脈、ヒマラヤ山脈など)を大きく迂回してインドに入ります。

玄奘が長安を立ったのが627年(629年)で、インド各地を巡り、再びシルクロード (帰路は南方路)をたどって帰国したのが645年。16-18年間の大冒険でした。

こういった東西南北の交流路として栄えたシルクロード でしたが、海上交通の発展に伴って、次第にその役割を終えていきます。

『敦煌』を連載した昭和34年、井上はジンギス・カンの生涯を題材にした西域もの『蒼き狼』も連載しています。

宮沢賢治も、「西域異聞三部作」(「マグノリアの木」「インドラの網」「雁の童子」)など西域を題材にした詩や童話を数多く残しています。「大谷おおたに 探検隊」(浄土真宗本願寺派第22代法主・大谷光瑞こうずい がシルクロード に派遣した学術探検隊。明治35年-大正3年)に参加した 島地大等しまじ・だいとう の話を賢治は聞いており、それをきっかけに西域のイメージをふくらませていったと推測されています。

井上 靖『敦煌 (新潮文庫) 』。明治33年、敦煌市の 莫高窟(ばっこうくつ) で発見された大量の文書(敦煌文献)の由来を主題にした、井上の西域ものの代表作。●佐藤純彌監督により映画化→ 赤松明彦『楼蘭王国 〜ロプ・ノール湖畔の四千年〜 (中公新書)』。楼蘭はシルクロードの要衝だったが、近くの「ロプノール」(さまよえる湖)が干上がり砂漠に飲まれた・・・
井上 靖『敦煌 (新潮文庫) 』。明治33年、敦煌の 莫高窟 ばっこうくつ で発見された大量の文書(敦煌文献)の由来を主題にした、井上の西域ものの代表作。●佐藤純彌監督により映画化→ 赤松明彦『楼蘭王国 〜ロプ・ノール湖畔の四千年〜 (中公新書)』。楼蘭はシルクロードの要衝だったが、近くの「ロプノール」(さまよえる湖)が干上がり砂漠に飲まれた・・・
「シルクロード(NHK特集)(デジタルリマスター版)〔DVD-BOX I〕」 前田耕作『玄奘三蔵、シルクロードを行く(岩波新書)』
「シルクロード(NHK特集)(デジタルリマスター版)〔DVD-BOX I〕」 前田耕作『玄奘三蔵、シルクロードを行く(岩波新書)』

■ 馬込文学マラソン:
井上 靖の『氷壁』を読む→

■ 参考文献:
●『シルクロード紀行(上)』(井上 靖 岩波書店 平成5年発行)P.271-289 ●「キルギス共和国」※「デジタル大辞泉」(小学館)に収録コトバンク→ ●「天山山脈」(小野菊雄)※「世界大百科事典(改訂新版)」(平凡社)に収録コトバンク→ ●「井上 靖評伝」(曾根博義)※『井上 靖(新潮日本文学アルバム)』(平成5年発行)P.60-P.62 ●『詳説 世界史研究』(編集:木下康彦、木村靖二、吉田 寅 山川出版社 平成20年初版発行 平成27年発行10刷)P.47、P.141-143、P.146 ●「アンティオキア」(糸賀昌昭)※「日本大百科全書(ニッポニカ)」(小学館)に収録コトバンク→ ●「シルクロード」※「ブリタニカ国際大百科辞典」に収録コトバンク→ ●『詳説 日本史研究』(編集:佐藤 信、 五味ごみ文彦、高埜たかの利彦、鳥海とりうみ 靖 山川出版社 平成29年初版発行 令和2年発行3刷)P.53-54 ●「玄奘」(袴谷憲昭)※「日本大百科全書(ニッポニカ)」(小学館)に収録コトバンク→ ●「宮沢賢治文学における<西域>の表象」( 王 麗華おう・れいか )※「学海 〜総合文化研究所所報〜(4号)」(上田女子短期大学総合文化研究所 平成30年発行)に収録 P.19、P.30-32

※当ページの最終修正年月日
2024.5.14

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