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アインシュタインと日本(大正8年5月29日、市川正一、「読売新聞」に相対性理論の紹介記事を書く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

市川正一

大正8年5月29日(1919年。 「相対性原理とは何か」の連載が、「読売新聞」で始まりました。 筆者名はありませんが、当時読売新聞社の社会部記者だった市川正一(27歳)が書いたものです。

書き出しは以下の通りです。

人が空中を行く様になつた事よりも更に一層大きな変革が過去廿にじゅう年の物理学に起つた。 即ち千九百五年瑞西スイスの物理学者アインスタインが発表した相対性原理は従来の物理学の基礎を動かし、特にニウトンが確固不動の原則として建てた力学上の法則を理論的に全くくつがえ したのである。・・・

「人が空中を行く様になつた事」とありますが、ライト兄弟が動力付き飛行機での飛行に初めて成功したのが、16年前の明治36年。「相対性原理」はそれ以上の変革を世にもたらしたとしています。

連載は全4回。この初回掲載日の大正8年5月29日には皆既日食が予想されており(wik/1919年5月29日の日食→)、アインシュタインが大正4年(1905年)に提起した「相対性原理」を実験で確かめる絶好のチャンス(太陽が暗くなり近くに見える恒星の光が観測できる)として世界が注目していました。皆既日食になるブラジルと西アフリカで実験が行われ、光が太陽のそばを通るときに曲がることが観測され、「一般相対性理論」が正しいことが実証されます。このことが世界の新聞で報道され、アインシュタインは科学者だけに限らず世界中が知る著名人となりました。市川はいち早く(実験結果が出る前に)かつタイムリーに世界的な大実験を新聞でレクチャーしたのでした。

市川の記事を要約すると、かつては空間の一点を表すのに、x、y、zの座標軸でこと足りましたが、電気・磁気・光の現象を物理学的に説明するには、時間を表すt軸が必要になること。そして、空間と時間とを結合した時空点は「世界点」と呼び、「時間と空間の座標の取り方の変換則」(「ローレンツ変換」)が導かれ、これが「相対性原理」の基礎になると書かれています。ローレンツはこれらを電磁気学(光の問題も含む)の問題として考えましたが、アインシュタインは「同時刻の分析」(運動している座標系の間では“同時刻”が異なる)によって、「ローレンツ変換」がどのような物体でも成り立つことを明らかにし、ニュートン力学から新しい力学への道を開きます。「世界点」 については、稲垣足穂も『美のはかなさ』(『一千一秒物語』Amazon→に収録)で言及。

かつて時間の流れは不変と考えられていましたが、重力が小さい場所(例えば地球の中心から距離のある場所)では時間が早く進むということも明らかになってきます。平成30年、160億年に1秒しかずれない「光格子時計」を開発した東京大学の香取秀俊教授のチームが、スカイツリーの地上部と展望台に「光格子時計」設置して測定したところ、展望台部では地上部よりも1日に2億3,000万分の1秒時間が早く進んだとのことです。

山本実彦 バートランド・
ラッセル 石原 純

市川が「相対性原理とは何か」を書いた3年後(大正11年)、アインシュタイン(43歳)が来日します。

立役者は改造社の社主・山本実彦(37歳)です。前年の大正10年、バートランド・ラッセル(49歳)を日本に招聘した際、山本ラッセルに「現存する世界の偉人は誰か」と問い、アインシュタインを知りました。早速、京都帝国大学の西田 幾多郎きたろう(52歳)と、東北帝国大学の石原 純いしわら・あつし (41歳)の賛同を得て、アインシュタインの招聘を進めました。

アインシュタイン招聘にあたって、当地(東京都大田区)にゆかりある二人が重要な役割を果たします。室伏高信(30歳)と秋田忠義(改造社を立て直すのに貢献した編集者)です。改造社の特派員としてロンドンに滞在していた室伏は、山本からの電報でアインシュタインがいるドイツに急行。 秋田は日本から特使として派遣され、ドイツ留学中の 田辺 元 たなべ・はじめ (37歳)の協力を得て来日交渉にあたりました。尾﨑士郎の当地(東京都大田区)を舞台にした小説 『空想部落』には、室伏や秋田を思わせる人物が出てきます。

アインシュタインはラフカディオ・ハーンの著作を通し日本に親しんでおり、話はトントン拍子に進んだようです。妻のエルザと神戸港に入港したのが大正11年11月17日(アインシュタイン43歳)。その後43日間滞在し、日本に“アインシュタインブーム”が起こります。ノーベル物理学賞の受賞の知らせを日本に向かう船上で受けたこともあるし、アインシュタインにとっても思い出深い旅になったことでしょう。

小石川植物園(東京都文京区白山三丁目7-1 map→)での歓迎会。前列中央右がアインシュタインで、その左がエルザ夫人 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/アルベルト・アインシュタイン(令和4年5月12日更新版)→ 西堀栄三郎(19歳。後に日本初の南極越冬隊の隊長)が、来日中のアインシュタインの通訳を3日間つとめた ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:「月刊おとなりさん」(平成24年7月号) 原典:西堀峯夫氏所蔵写真
小石川植物園(東京都文京区白山三丁目7-1 map→)での歓迎会。前列中央右がアインシュタインで、その左がエルザ夫人 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/アルベルト・アインシュタイン(令和4年5月12日更新版)→ 西堀栄三郎(19歳。後に日本初の南極越冬隊の隊長)が、来日中のアインシュタインの通訳を3日間つとめた ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:「月刊おとなりさん」(平成24年7月号) 原典:西堀峯夫氏所蔵写真

アインシュタインは、明治12年、南ドイツのウルムという小さな町で生まれ、その後ミュンヘン、イタリアのミラノを経てスイスのギムナジウムに編入、その頃からもう「光を光の速さで追いかけたらどうなるか」といった相対論に連なること考え始めています。チューリッヒ連邦工科大学卒業後、ベルンに居を定め、特許局の仕事をこなしつつ物理学の研究を進め、明治38年(26歳頃)、きわめて重要な3つの論文(「光量子の仮説」「ブラウン運動に関する論文」「運動物体の電磁気学」)を発表。3つ目の「運動物体の電磁気学」で、「同時刻が相対的であること」に触れ、「特殊相対性理論」という考えが出てきます。

電磁気の法則は「特殊相対性理論」で説明できるようになりましたが、重力は相対論的に説明できていませんでした。アインシュタインは「重力と慣性力は等価」でそれらはどんなものにも働き、また、どんなものも無重力の座標系では同じ物理現象を起こすことを導き出しました。光といえども重力のある場を通過するとき慣性力を受けて方向を変えると推論します(明治44年。32歳頃)。大正8年の皆既日食でそれが実証され、世界的な著名人になったのは前述の通りです。

とはいえ、その後、順風満帆かといえば全くそんなことはなく、ドイツにナチズムが台頭(ヒトラーがドイツ労働党に入党したのは、アインシュタインが著名になるきっかけとなった皆既日食があったのと同じ大正8年)アインシュタインはスイス国籍を取得していましたがユダヤ人だったため格好の標的になります。アインシュタインは昭和5年に米国に亡命、昭和30年に没するまで米国(プリンストン)に留まりました。昭和14年頃、ドイツがウランの原子核が分裂反応を起こすことを発見、ナチスが原子爆弾を持つことを危惧したユダヤ系の物理学者レオ・ジラードが、アインシュタインに名前を借りて、ナチスよりも早く米国が原子爆弾を持つことをルーズベルト大統領に進言、米国での原爆開発が始まりました。原子爆弾が日本に落とされたことを知ったアインシュタインはうめき声をあげたとのこと。

『アインシュタイン 日本で相対論を語る』(講談社)。日本滞在43日間の行動と講演内容 バートランド・ラッセル『相対性理論の哲学 〜ラッセル、相対性理論を語る〜』(白揚社)。訳:金子 務、佐竹誠也
アインシュタイン 日本で相対論を語る』(講談社)。日本滞在43日間の行動と講演内容 バートランド・ラッセル『相対性理論の哲学 〜ラッセル、相対性理論を語る〜』(白揚社)。訳:金子 務、佐竹誠也
マシュー・スタンレー『アインシュタインの戦争 〜相対論はいかにして国家主義に打ち克ったか〜』(新潮社)。訳:水谷 淳 西尾成子『科学ジャーナリズムの先駆者 ~評伝 石原 純~』(岩波書店)。日本で初めて相対論と量子論の論文を書いた人の波乱に満ちた人生
マシュー・スタンレー『アインシュタインの戦争 〜相対論はいかにして国家主義に打ち克ったか〜』(新潮社)。訳:水谷 淳 西尾成子『科学ジャーナリズムの先駆者 ~評伝 石原 純~』(岩波書店)。日本で初めて相対論と量子論の論文を書いた人の波乱に満ちた人生

■ 馬込文学マラソン:
稲垣足穂の『一千一秒物語』を読む→
尾﨑士郎の『空想部落』を読む→

■ 参考文献:
●『不屈の知性 ~宮本百合子市川正一・野呂栄太郎・河上 肇の生涯』(小林榮三 新日本出版社 平成13年初版発行 平成13年2刷参照)P.94-95 ●『アインシュタインが考えたこと(岩波ジュニア新書)』(佐藤文隆 昭和56年初版発行 昭和59年発行6刷参照)P.47、P.58-66、P.69-74、P.86-87、P.95-101、P.106-109、P.136 ●「相対性原理とは何か」※「読売新聞(朝刊)」大正8年5月29日~6月1日掲載 ●「美のはかなさ」(稲垣足穂) ※『一千一秒物語(新潮文庫)』(昭和44年初版発行 平成17年41刷)に収録 ●『改造社と山本実彦』(松原一枝 南方新社 平成12年発行)P.83-104、P.114-124 ●「時間で高さの変化知る/「光格子時計」使い 火山観測への応用も」※「東京新聞(夕刊)」令和2年5月21日掲載記事

※当ページの最終修正年月日
2022.6.1

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