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人鷹一体(享保9年1月21日(1724年)、徳川吉宗、当地(東京都品川区)で鷹狩りをする

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


放鷹ほうようを実演する諏訪流の鷹匠たかじょう・大塚紀子のりこ さん。「人鷹じんよう 一体」を目指している(平成31年1月2日 浜離宮恩賜庭園にて)


徳川吉宗
徳川吉宗

享保9年1月21日(1724年。 江戸幕府8代目将軍・徳川吉宗(39歳)が当地で 放鷹ほうよう(鷹狩り)をしました。現在の東京都品川区あたりで鷹を放ち、 密厳院 みつごいん (東京都大田区大森北三丁目5-4 map→)にも立ち寄っています。

江戸時代の将軍は、初代・徳川家康から鷹狩りをよく行いました。5代目・綱吉が「生類憐れみの令」によって禁じましたが、吉宗が復活させます。『徳川実紀』によると、吉宗は現在の大田区域だけでも12回は鷹狩りをしています。当地は獲物として珍重された鶴の生息地であり、当地の全域が将軍の狩猟場に指定されていました。

鷹狩りは、鷹を狩るのではなく、鷹によって鳥やウサギなどの獲物を狩ることです。小規模なものは、レジャーであり、健康法であり、武芸の鍛錬が主目的でしたが(「小鷹狩」)、大規模なもの(「大鷹狩」)になると、権力者がその力を見せつける「示威」が主目的でした。 勢子 せこ (獲物を追い込む人)を多数(数万とも)引き連れて鳴り物入りで派手に行って、幕府の権勢を見せつけ萎縮させる効果を狙ったようです。現在も愚かしくも性懲りなく行われる軍事パレードのようなものだったのでしょう。

優美に羽を広げる鶴などに獰猛な鷹が襲う様に、庶民も畏怖したことでしょう。鷹狩りの実施にあたっては、庶民は、生活(仕事や祭りなど)を後回しにして協力しなくてはならず、権力者には庶民を「従わせ」「従い慣れさせる」いい機会になったことでしょう。家康は、公家などが勝手に鷹狩りすることを禁じ、また鷹を勝手に売買することも禁じ、権力保持に利用しました。「周りに禁じ、自らが独占する」は、権力者の常套。

幕府の御用絵描きだった狩野探幽が描いた「松鷹図」(二条城。描かれたのは寛永3年(1626年、家光が将軍在位中) ※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典:『狩野探幽(日本美術絵画全集)』(集英社) 鷹狩りの一場面。鷹が仕留めた鶴に駆け寄るところ。背後には多数の勢子が控えている ※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典:『日本風俗史. 下』(藤岡作太郎・平出鏗二郎 著、明治28年発行 東陽堂)(NDL→)
幕府の御用絵描きだった狩野探幽が描いた「松鷹図」(二条城。描かれたのは寛永3年(1626年、家光が将軍在位中) ※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典:『狩野探幽(日本美術絵画全集)』(集英社) 鷹狩りの一場面。鷹が仕留めた鶴に駆け寄るところ。背後には多数の勢子が控えている ※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典:『日本風俗史. 下』(藤岡作太郎・平出鏗二郎 著、明治28年発行 東陽堂)(NDL→

当地の 円能寺 えんのうじ (東京都大田区山王一丁目6-30 map→)には、吉宗が伊勢から呼び寄せた 綱差 つなさし ( 獲物となる鶴やきじの保護・飼育をする人。綱罠で鶴を生け捕ったため「綱差」と呼ばれたと伝わる)の橋爪家の墓所があり、獲物となった鶴を供養したと思われる鶴墳が立っています。

当地の黒鶴稲荷神社(東京都大田区中央五丁目4-2 map→)には、天正18年(1590年)、初代・家康に従って当地に来た 鷹匠たかじょう の山本氏が、境内で見つけた黒鶴を家光に献上し喜ばれたという由来があるそうです。

円能寺の鶴墳 黒鶴稲荷神社
円能寺の鶴墳 黒鶴稲荷神社
呑川(のみがわ) の「 鶴林橋(かくりんばし) 」(池上二~三丁目)。鷹狩りのさい勢子たちが身を隠した竹林に関係ある? 当地の「鶴渡 ( つるわたり ) 公園」(東京都大田区大森西六丁目12 map→ )にある鶴のオブジェ
呑川のみがわ の「 鶴林橋かくりんばし 」(池上二~三丁目)。鷹狩りのさい勢子たちが身を隠した竹林に関係ある? 当地の「 鶴渡 つるわたり 公園」(東京都大田区大森西六丁目12 map→ )にある鶴のオブジェ

鷹狩りの歴史は古く、 腕に鷹をとまらせた埴輪があることから、日本でも古墳時代頃から行われていたと推測されています。支配階級を象徴する行為で、皇室、貴族、位の高い武士の間で行われてきたとのこと。嵯峨天皇(第52代。在位809-823)は鷹狩りに関する漢詩を残し、世界で2番目に古い鷹狩りの技術書『 新修鷹経 しんしゅう・ようきょう 』を編纂したとの説があります。(中国で作られて輸入された漢籍とする説も有力NDL→ ※写本))。『伊勢物語』、『源氏物語』、『今昔物語』にも鷹狩りが出てきます。

『今昔物語』19巻第8話の「西京鷹仕者見夢出家語」は、西京で鷹に仕える鷹匠の話です。鷹狩りに夢中で寝ても覚めても鷹狩りの男が、ある日、自分と自分の家族が、鷹狩りで獲物となる雉になる夢を見ます。春のうららかな日に、その雉の家族が野原にピクニックに行くと、鷹狩りの集団の気配がします。父親の雉は野原で遊んでいる家族に急を知らせようとしますが、鷹狩りのけたたましい音にかき消され、叶いません。長男雉が捕まり「肝心を割かれ」、次男雉も捕まって「頸骨を押折られ」、三男雉も「頭を打たれ打ち落とされ」ます。

・・・子供は皆死ぬれば、「妻をだに残せかし」と悲しく見居たる程に、未だ狗飼いぬかいも来ぬ前に、妻、く飛び立て、北の山様に逃ぐ。鷹飼、れを見て、鷹を放ち合せて、馬を走らしめて行く。妻は羽疾くして、離れたる松の木の本なる薮に落入ぬ。狗、つづきて寄て、妻を挟つ。・・・(『今昔物語』(「やたがらすナビ」→)より)

鷹狩りは、世界的に見ると、紀元前2000年頃(日本では縄文時代)には中央アジアやモンゴル高原あたりですでに行われていたと推測されています。

明治時代になると鷹狩りが将軍・大名の特権でなくなり、モースが3度目の来日のおりの明治15年(モース44歳)、黒田某の東京郊外の別荘で鷹狩りを見学し、感銘を受けています。

・・・なぜ、日本人が鳥に向かって発砲することに反対するのか。それは鳥が池から逃げてしまうからだ。・・・(中略)・・・すべてのことが静かに、少しも興奮しないで行われるので、繰り返し繰り返し狩りをすることができる。初めて見るこの古い遊びはとても面白く、ドクタアなどは国へ帰ったら絶対にやってみると宣言していた。・・・(モース『日本その日その日』より)

今も、江戸時代、徳川家の御鷹場だった都立 浜離宮はま・りきゅう恩賜おんし 庭園(東京都中央区浜離宮庭園1-1 map→)で、1月の2~3日の昼頃、 放鷹ほうよう するのが恒例になっています。近くの高層ビルからの鷹の急降下は圧巻。お屠蘇に飽きてきた頃で、身が引き締まって良いですよ!

・・・蒼天に鷹を放つとき、ひとたび空に舞い上がった鷹に束縛するものは何もない。たとえ人とともに生きていても、鷹には鷹の強い意志がある。そのような、人に従う生き方を潔しとしない彼らの心を、鷹匠は愛し、その傍らにいることで喜びを共有してきた。・・・(大塚紀子『鷹匠の技とこころ』より)

菅 豊(すが・ゆたか) 『鷹将軍と鶴の味噌汁 〜江戸の鳥の美食学〜 (講談社選書メチエ) 大塚紀子 『鷹匠の技とこころ ~鷹狩文化と諏訪流放鷹術~』(白水社)
菅 豊すが・ゆたか 『鷹将軍と鶴の味噌汁 〜江戸の鳥の美食学〜 (講談社選書メチエ) 大塚紀子『鷹匠の技とこころ ~鷹狩文化と諏訪流放鷹術~』(白水社)
服部文祥(はっとり・ぶんしょう)『獲物山 (SAKURA・MOOK 93)』(笠倉出版社) 「イーグルハンター 〜1000年の歴史を変えた「鷹匠」少女〜」。監督:オットー・ベル
服部文祥はっとり・ぶんしょう 『獲物山 (SAKURA・MOOK 93)』(笠倉出版社) 「イーグルハンター 〜1000年の歴史を変えた「鷹匠」少女〜」。監督:オットー・ベル

■ 参考文献:
●「村の生活を規制するもの」(平澤勘蔵)※『大田区史(中巻)』(東京都大田区 平成4年発行)P.28-31 ●「品川筋御鷹場/鷹狩の実態」(根崎光男)※『大田区史(中巻)』(東京都大田区 平成4年発行)P.185-188 ●『大田区の史跡散歩(東京史跡ガイド11)』(新倉善之 学生社 昭和53年発行)P.82-83 ●『大田区史年表』(監修:新倉善之 東京都大田区 昭和54年発行)P.220、P.230-244、P.274-302、P.312、P.401 ●『狩野探幽(日本美術絵画全集)』(集英社 昭和55年発行)図版1 ●『大田区の近代文化財(大田区の文化財 第十七集)』(東京都大田区教育委員会 昭和56年発行)P.90 ● 「黒鶴稲荷神社内案内板」 ●『日本その日その日(3)(東洋文庫)』(モース 平凡社 昭和46年初版発行 昭和48年発行4刷参照)P.189-195 ●『鷹匠の技とこころ ~鷹狩文化と諏訪流放鷹術~』(大塚紀子 白水社 平成23年発行)P.3-18 ●『日本風俗史. 下』(藤岡作太郎・平出鏗二郎 東陽堂 明治28年発行)P.200NDL→ ●「鶴墳」デジカメ散策「大田区の史跡・歴史」→ ●「秀忠の鷹狩り」気ままに江戸♪→ ●「洛中洛外図と障壁画で体感「京都でも見ることができない京都」(橋本麻里の「この美術展を見逃すな!」)」CREA WEB→ ●「鷹場」(根崎光男)※「日本大百科全書(ニッポニカ)」(小学館)に収録コトバンク→ ●「鷹狩」(山中 裕)※「日本大百科全書(ニッポニカ)」(小学館)に収録コトバンク→ ●「『新修鷹経和解』の翻刻と解題」(秋吉正博)八洲学園大学 学術情報リポジトリ→ ●「松阪の綱差・牧野家、江戸へ-将軍・吉宗 鷹場制度を復活」歴史の情報蔵→

※当ページの最終修正年月日
2023.1.21

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