狩野探幽

狩野探幽

かのう・たんゆう。慶長7年(1602)年、京都生まれの狩野派の絵師。狩野孝信の子で狩野永徳の孫。江戸幕府の御用絵師として、江戸城・二条城・名古屋城、大徳寺・妙心寺などの内装絵画を描いた。 南宋画なんしゅうがの余白と減筆法を学び、瀟洒淡泊しょうしゃ・たんぱくな探幽様式を確立、江戸狩野派の本流となす。延宝2年(1674年。72歳)死去。当地(東京都大田区)の本門寺瓢箪ひょうたん型の墓がある。参考サイト:ウィキペディア/狩野探幽→

※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/狩野探幽(令和2年8月2日更新版)→

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