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××の味(昭和5年10月26日より、山本有三の『風』が連載される)- 今日の馬込文学/馬込文学マラソン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和5年、新聞連載時は無傷だったが、2年後(昭和7年)に書籍化したものは、伏字だらけだった

秦豊吉

昭和5年10月26日(1930年。 より「東京・大阪朝日新聞」で、山本有三(43歳)の 『風』Amazon→ の連載が始まりました。挿絵は川端龍子(45歳)。

山本の作品では珍しく(?)、ミステリータッチです。冒頭、2つの死体が登場。タクシーの運転手が夜道でパンクを直していると、乗せていた客がいつの間にか死んでいます。あわてて近くの交番に駆け込んで巡査を連れて戻ると、死体がない。翌朝から、近辺の捜索が始まり、案外簡単に近くの林から死体が見つかりますが、それがなんと、タクシーの中で死んでいた男とは違う男なのでした・・・。

と、こんな書き出しですが、途中、作中のある男が、軍隊で、上官からいじめを受けた時のことを告白する場面があります。彼は、階級が下の者は上の者から何をされても抗議できない、それが軍隊だといいます。上官から馬糞ばふんを口の中に入れられた時のことを男は話しました。

ところが、新聞連載の時はそのまま掲載されたこの箇所が、2年後(昭和7年)に書籍になったとき、伏字ふせじだらけとなります。

・・・「×、×、ぼくがほね身にこたえて感じたことは××という観念です。××××××××××、
××××××××××××××、
××××××××××××××××××××××。
×××××××××××、
××××××××××××××××××××。
××××××××××××××
××××××××××××××。 ××××、
×××××××、×××××××××、
×××××××××××。
××××××××××××、
×××××××××××、
×××××××××××××××、
××××××××××××××××××××、
××××××××××××××××××××××。
諸君、諸君は××の味を知っていますか。
恐らくは知っている人はないでしょう。しかし全然しらないはずはありません。
諸君もある意味では、かなり××を食わされているのであります。
××の味は単に、××××、×××××××、
×××××××××××××のものではありません。
それは実に××の味です。
××の味です。××の味です。
××××××××××××××××××××……」(山本有三『風』(昭和7年書籍版))

これでは、さっぱり分かりませんね。新聞連載時は、以下のように書かれていたのです。

・・・「否、否、ぼくがほね身にこたえて感じたことは階級という観念です。お恥ずかしい話ですが、私はひどく貧乏していたくせに、その前までは階級意識に目ざめていませんでした。しかし入隊したおかげで、私ははっきりそれをつかむことができました。軍隊というところは最も深刻に階級観念を教えこむ養成所です。星ひとつ、線一本の相違が、いかに人を傲慢にし、いかに人を卑屈にするか。その最もななはだしい例は、星が一つでも上の人から、馬ふんを口中に投げいれられても、それに対して抗議をすることもできなければ、そいつを吐き出すことさえできないのであります。諸君、諸君は馬ふんの味を知っていますか。恐らくは知っている人はないでしょう。しかし全然しらないはずはありません。諸君もある意味では、かなり馬ふんを食わされているのであります。馬ふんの味は単に、臭いとか、しぶったいとか、胸が悪くなるとかいうくらいのものではありません。それは実に階級の味です。差別の味です。奴隷の味です。被圧迫者のみが味わう屈辱無念の味わいです……」(山本有三『風』(昭和5年新聞掲載版))

実は、新聞にこの部分が掲載されたあと、著者の山本は憲兵隊に呼び出されています。憲兵は話の取材先をさかんに問い質したといいます。山本が覚えていないと突っぱねると、「あなたがどうしても言わなければ、言わせてみせる道がある」と脅し、同行した「朝日新聞」の学芸員のことも大声でなじりました。

そんなこともあって、朝日新聞社は、『風』を単行本にするさい、“自主的に”伏字にしたのでした。山本の許可は得ていません。原文のまま出したら、発売禁止になって大きな損害をこうむるし、また、作者(山本)も検挙されるかもしれない、というのが言い分のようですが、このように“脅しと自主規制”によって、世の中の言論が一色になります

新聞掲載と単行本の出版との間の2年間に、軍の暴走によって満州事変が起こり(昭和6年9月18日)、昭和7年3月1日には日本の傀儡国家「満州国」の建国が宣言されました。「朝日新聞」は満州の日本軍にたいして批判的でしたが、“満州事変の成功”後は一転して軍擁護になったので、山本の『風』を単行本にする際のひどい伏字は、軍に脅かされてというより、むしろ進んでやったのかもしれません。

昭和15年、岩波書店から発行された「山本有三全集」第四巻に収録された『風』では、伏字どころか、「軍隊でのリンチ」の部分がそっくり削られました。岩波ですら、こんな忖度をした時代があったのですね。それだけ酷い圧力がかかったともいえます。

山本の『女の一生』Amazon→も検閲でひっかかり、同年(昭和15年)、「主婦之友」に連載中の『新篇 路傍の石』Amazon→も内務省の事前検閲があって、中断に追い込まれました。

山本の『風』が新聞連載される2年前(昭和3年)の3月15日(第一回普通選挙の直後)、日本共産党員やその支持者、労働運動などに携わる人など約1,500名が一斉に検挙されました(「三・一五さん・てん・いちごう事件」)。

小林多喜二

小林多喜二の『一九二八・三・一五』Amazon→には、「三・一五事件」のとき警察が検挙者に対して行った拷問を描かれています。

警察の拷問はあまりに残酷で、あまりに非人間的であり、それを多喜二はありのままに書いたので、蔵原惟人くらはら・これひと に送られた原稿は、多くの伏せ字処理がされて(おそらく自主的に)、プロレタリア系文芸誌「戦旗」に掲載されました。

それでも、掲載誌は発売禁止となり、拷問の実態を暴いた多喜二は警察や特高の激しい憎悪を買うこととなります。

昭和は4年に舞台化された「西部戦線異常なし」の脚本にも、1万字以上の伏せ字が処され、その部分を俳優たちは口をパクパクさせるだけで発声しなかったとか。

昭和15年になると、内閣情報部、外務省情報部、陸軍省情報部、海軍省軍事普及部、内務省警保局検閲課、逓信省電務局電務課などを一元化した統制官庁「情報局」が設置されて検閲体制が強化され、ますます思うように書けなくなって、筆を折る作家も出てきます。

牧 義之 『伏字の文化史 〜検閲・文学・出版〜』(森話社) 上出義樹(かみで・よしき) 『報道の自己規制 〜メディアを蝕む不都合な真実〜』(リベルタ出版)
牧 義之『伏字の文化史 〜検閲・文学・出版〜』(森話社) 上出義樹かみで・よしき 『報道の自己規制 〜メディアを蝕む不都合な真実〜』(リベルタ出版)
山本七平『「空気」の研究 (文春文庫) 』。「空気を読め」とか「アイツは空気が読めない」という時の「空気」とは何なのか? 小林多喜二『蟹工船 一九二八・三・一五 (岩波文庫)』●昭和5年発行の伏字版『一九二八・三・一五』(NDL)→
山本七平『「空気」の研究 (文春文庫) 』。「空気を読め」とか「アイツは空気が読めない」という時の「空気」とは何なのか? 小林多喜二『蟹工船 一九二八・三・一五 (岩波文庫)』●昭和5年発行の伏字版『一九二八・三・一五』(NDL)→

■ 参考文献:
●「“ある魂の発展”を求めて」「略年譜」(永野 賢) ※『山本有三(新潮日本文学アルバム) 』(昭和61年発行)P.34-41、P.106-107 ●『山本有三全集(六)』(新潮社 昭和51年発行)P.79-80、P.396-411 ※『風』を収録。各版のあとがきや伏字箇所の検証あり ●『昭和史(1926-1945)(平凡社ライブラリー)』(半藤一利 平成21年発行)P.64-82 ●「検閲」※「百科事典マイペディア」(平凡社)に収録コトバンク→) ●「「路傍の石」を描く 山本有三(13)」千葉日報オンライン→ ●『失われたテクスト「一九二八年三月十五日」の伏せ字と削除の問題を中心に』( 梁 喜辰ヤン・ヒジン)P.67-68国文学研究資料館学術情報リポジトリ(大学共同利用機関法人 人間文化研究機構)→

※当ページの最終修正年月日
2024.10.26

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