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最初の夜に(明治27年5月6日、徳冨蘆花と愛子、曙楼に新婚旅行に来る)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

徳冨蘆花

明治27年5月6日(1894年。 徳冨蘆花(25歳)と妻の愛子(19歳)が、当地の「 曙楼あけぼのろう 」(本門寺(東京都大田区池上一丁目1-1 Map→)の東面にあった料亭。現在「大森めぐみ教会」(東京都大田区池上一丁目19-35 Map→)が建っているあたりにあった。梅の名所)に、新婚旅行で来ました。

2人は前日の5月5日に結婚。翌日やって来ました。蘆花は兄の徳富蘇峰(31歳)が経営する国民新聞社に勤めており、愛子も小学校の教員でした。彼女は次の日まっすぐ職場に行けるよう、着替えと教科書を風呂敷に包んで持ってきたようです。

その時のことが、蘆花の自伝的小説『富士』(晩年の作。未完。愛子との共著)に出てきます。曙楼に着いた2人は、昼食を済ませて、裏の本門寺に出かけます。

・・・仁王門、祖師堂、輪蔵とめぐつて、丘の西の端に来た。松の木の間から六郷 田圃たんぼが一面見渡される。向ふは鶴見台一帯の丘陵、その上に五月さつきの富士がさながら空に浮いている。午後の日してうっすかすみ、すべては眼に見えながらぼうとして、何時いつの昔にか見た夢のやう。 恍惚うっとり した二人は、また歩を返へして冷やりした松陰に入つた。じい、じい、じいツ──じい、じいツ──静まり返つた一山いっさんの空気を震はして、どこのこずえでか春蝉が鳴いている。じい、じい、じいツ。一声はゆく春をおくり、二声は夏を ばうその音は、霊魂の一対いっついを生前の夢から今生のうつつ に喚びさます声である。二人はじいと聴き入つた。・・・(中略)・・・ 永劫 えいごう の中から切りはなされた輝やかしいこの 刹那 せつな に、熊次は天から彼の生涯に落つこちて来たやうな駒子と唯二人ここにいる。・・・(徳冨蘆花『富士』より)

夢か現実か分からないような、幸福な、それでいて静かな時が流れていきます。熊次が蘆花で、駒子が愛子です。そして、いよいよ初めての夜を迎える二人。

・・・明朝早立の事など女中に頼むで置いて、二人は長廊下を下つて、本館の鉱泉につた。
 早湯の熊次は直ぐ上つた。隣の浴室に駒子はぽちやぽちややつている。上つてしまつた熊次は、少し待つてみて、 到頭とうとう ぶらぶら帰りかけた。所々にランプのついた長廊下を、熊次はゆつくりゆつくり 草履ぞうり の音を立てゝ上つた。時々立ち止まつて耳を立てたが、駒子の草履の音も聞えぬ。到頭とうとうひとりはなれに帰つてしまつた。
 障子をあけると、 緋牡丹ひぼたんの花がへや一ぱいに散つたかとばかり、赤い色がぱつと眼を射た。燃え出るやうな夜のものが二つ奥の六畳にのべてある。
 駒子は中々上つて来なかつた。
 軽い不安を熊次は覚えはじめた。待つていればよかつた、と思ふた。往つて見やうか、とすでに起ちかけたその時、足音が静に近づいた。熊次の胸がち出した。障子がすうと開いて、
「遅くなりました」
 熊次の眼の前に現はれたそれは、高島田たかしまだ に紅、 白粉おしろい縮緬ちりめん の裾ひいた昨夕のどこやらませた駒子でなく、たった今咲いた桜の花かとばかり初々しい駒子であつた。・・・(徳冨蘆花『富士』より)

行灯

「最初の夜」もいろいろです。

つかこうへいの戯曲『蒲田行進曲』(昭和56年小説化され同作によりつかは直木賞を受賞)、翌昭和57年に映画となり大ヒットしました。

映画作りの現場が舞台です。主な登場人物は、大部屋(一つの部屋が与えられない下っ端の俳優)のヤスに、駆け出しのスター銀ちゃんと、かつてのトップ女優の小夏。ヤスはフィルムに顔も映らない斬られ役などが多いのですが、「映る映らないは関係ないんですよ。いい映画ができりゃいいんです」と映画を純粋に愛し、映画にどんな形であれ関われることに喜びと誇りを持っています。銀ちゃんからどつかれても彼のことを尊敬し、小春にも憧れています。

ある日、ヤスは、銀ちゃんと小春との間にできた子と小春を、銀ちゃんから押し付けられます。これからの銀ちゃんには小春がジャマなのです。銀ちゃんには若い恋人もできました。

ヤスに異存はありませんが、銀ちゃんにへいこらしているヤスを小春は軽蔑しきっています。それでもヤスは小春の出産と新婚の費用を作るために、二階から滑り落ちたり、谷へ転げ落ちたりと危険な役を買って出て荒稼ぎ。そんなヤスを見て、小春の心も少しずつ変わってきます。ヤスが小春を連れて、故郷に錦を飾る日がきました。そして、2人の最初の夜。

小説では、小春が風呂でヤスの母親の背中を流したあとヤスのいる寝室に戻ると、ヤスは大口をあけてイビキをかいていますが、映画ではちょっと違います。2人の “初夜”となります。日本映画史に残る名場面ではないでしょうか。

どんな過去があったにせよ、2人が初めて交わるとき、それが2人にとっての“初夜”。

ランプ

三島由紀夫作品が入れ子になった『欲望』という小池真理子さんの小説があります。そこに、インポテンツに悩み苦しむ男性と、“奇跡”を信じて交わる場面があります。

・・・「試してみて」私は言った。自分が口にした言葉が信じられなかった。だが、言ってしまったものは取り消せなかった。
 「試してほしいの」私は身体をこわばらせたまま、おずおずと繰り返した。・・・(中略)・・・正巳まさみの沈黙は恐ろしかった。私は自分がおかしなことを言って、彼を冒涜ぼうとく したのかもしれない、そうに違いない、と思った。・・・(小池真理子『欲望』より)

徳冨蘆花

こんな「初夜」もあります。

北條民雄の『いのちの初夜』は、自身がハンセン病と診断されて、東京東村山村の全生ぜんせい病院(現「(国立療養所多磨)全生 ぜんしょう 園」(東京都東村山市青葉町四丁目1-1 Map→ Site→))に入院した初日のことを題材にして書かれています。当時、ハンセン病は、不治の病とされ(現在は薬で治る)、患者は顔や手足が崩れるといった後遺症を残すことがあることから怖がられ、差別され、排斥されていました(「らい予防法」により強制的に不当隔離された)。発病した人の絶望感は凄まじいものがあったのです。主人公の男は病院への道すがら首をくくれそうな枝ぶりの木をそれとなく探し、でも死に切れず、病院についてからももう一度試みますが、死に切れません。そんな時、付添夫の男(彼もハンセン病を患い5年この病院にいる)が主人公に言います。かつての自分を捨て去り「生命そのもの」になること。そして、「新しい思想」と「新しい眼」を持って新しい人間になるのだと。

『いのちの初夜』という書名は、作品に感動した川端康成が提案し、北條が了承したものです。

『富士(一)(徳冨蘆花集 16) 』(福永書店)。第二章「あけぼの」に曙楼での場面がある。本門寺からの富士が2人の未来を象徴 ●NDL→ 「蒲田行進曲」(松竹)。監督: 深作欣二(ふかさく・きんじ) 。出演:松坂慶子、 風間杜夫 ( かざま・もりお ) 、平田 満(みつる) ほか。キネマ旬報日本映画ベスト・テン第1位、日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞
『富士(一)(徳冨蘆花集 16) 』(福永書店)。第二章「あけぼの」に曙楼での場面がある。本門寺からの富士が2人の未来を象徴 ●NDL→ 「蒲田行進曲」(松竹)。監督: 深作欣二ふかさく・きんじ 。出演:松坂慶子、 風間杜夫 かざま・もりお 、平田 みつる ほか。キネマ旬報日本映画ベスト・テン第1位、日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞
北條民雄『いのちの初夜(角川文庫)』。表題作のほか『望郷歌』『吹雪の産声』『眼帯記(随筆)』など7編を収録 イアン・マキューアン『初夜 (新潮クレスト・ブックス) 』。初夜で顕現する2人の本性。「追想」という映画になっている→
北條民雄『いのちの初夜(角川文庫)』。表題作のほか『望郷歌』『吹雪の産声』『眼帯記(随筆)』など7編を収録 イアン・マキューアン『初夜 (新潮クレスト・ブックス) 』。初夜で顕現する2人の本性。「追想」という映画になっている→

■ 馬込文学マラソン:
三島由紀夫の『豊饒の海』を読む→
小池真理子の『欲望』を読む→
川端康成の『雪国』を読む→

■ 参考文献:
●『蒲田行進曲』(つかこうへい 角川書店 昭和56年初版発行 昭和57年発行3版参照)P.103-105、P.124-127 ●「知ってほしい、ハンセン病のこと。 〜希望ある明日へ向けて〜(パンフレット)」(国立ハンセン病資料館 令和5年発行) ●『定本 北條民雄全集(下巻)(創元ライブラリ)』(平成8年発行)P.372-375

※当ページの最終修正年月日
2023.5.6

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