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一木一草への思い(昭和27年5月3日づけの室生犀星の日記より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あやめ ※養玉院(ようぎょくいん。東京都品川区西大井五丁目22-25 Map→)にて

室生犀星

昭和27年5月3日(1952年。 室生犀星(62歳)が日記に、

あやめ、けふはじめてひらく。

と書いています。 続く日も、庭のあやめの様子を書いています。

6日 ?輪 けさ三時に目をさますと、つぼみのまま生けたあやめが、なかば開きかかり、つぼみの形をほぐしたところだった
7日 109輪 あやめ百九輪ひらく
8日 125輪 さかりか?
9日 131輪 昨日より多い
10日 133輪 夕方から雨、一夜で色を失うだろう
11日 75輪 くろずみちぢむ
12日 72輪  
13日 70輪  
14日 130輪 「移植」して数増える
15日 127輪  
16日 107輪 二番開花も今日から終るだろう
17日 53輪  
18日 50輪  
19日 37輪  
20日 30輪  
21日 15輪  
22日 10輪 却って美しい
23日 2輪  
24日 5輪  
25日 3輪  
26日 2輪  
27日 0輪  

一輪たりともおろそかにしないで数え上げて、最後の一輪まで見届けています。133輪も咲かせながらも、10輪の時が「却って美しい」と感じるあたりがいかにも犀星

あやめの種類は、郷里の石川県金沢から移植した「岡あやめ」 。犀星が亡くなった後、当地の室生宅(現在の「室生マンション」(東京都大田区南馬込一丁目49-5 Map→)あたりにあった)から、犀星の墓(石川県金沢市野田町野田山1-2 Map→)に逆移植されたそうです。今年も今頃、花をつけているでしょうか。

徳富蘇峰

徳富蘇峰は、山王草堂(蘇峰の住まい。現・「山王草堂記念館」 東京都大田区山王一丁目41-21 Map→ Site→)の庭に植わる草木に、毎朝、挨拶して回ったそうです。今も、 孔子廟こうしびょう (孔子の旧宅。中国 山東省さんとうしょう曲阜きょくふ Map→)に植わる「学問の木」・かい (枝振りが直線的で力強いことから、「楷書」の語源となる)や、蘇峰の生涯の師・新島 襄から贈られたカタルパの木などが植わっています。カタルパは現在3代目とのこと。5月~6月に開花するそうなので、今日「山王草堂記念館」に行けば白い花が見れるでしょうか?

「山王草堂記念館」の楷 「山王草堂記念館」のカタルパ
「山王草堂記念館」の楷 「山王草堂記念館」のカタルパ

川端龍子は、野の草花を“雑草”と呼ぶのを嫌い、花壇の花よりもそれらを愛しました。当地の自宅・アトリエ(現在「龍子記念館」(東京都大田区中央四丁目2-1 Map→ Site→)になっている)の庭には、野の花がたくさん植えられました。龍子はそれらを日本画のモチーフにしました。第二回青龍展(昭和5年)に出品した作品「草炎」は、横4m近くありますが、画面に野の花が溢れています。

「龍子記念館」の一角にある「龍子草苑」で母子草を発見。かつて当地は母子草が咲き乱れ、龍子は自宅を「御形荘(ごぎょうそう)(御形は母子草の別名)」と呼んだ 川端龍子の「草炎」の一部。金泥で描かれている。秋になればススキは穂を出し、アザミは花をつけるだろうが、あえてそれらの夏を描いている ※出典:『川端龍子(現代日本の美術)』(集英社)
龍子記念館」の一角にある「龍子草苑そうえん」で母子草ははこぐさを発見。かつて当地は母子草が咲き乱れ、龍子は自宅を「 御形荘ごぎょうそう (御形は母子草の別名)」と呼んだ 川端龍子の「草炎」の一部。金泥で描かれている。秋になればススキは穂を出し、アザミは花をつけるだろうが、あえてそれらの夏を描いている ※出典:『川端龍子(現代日本の美術)』(集英社)

宇野千代は桜を愛しました。桜をデザインした着物を作ったり、樹齢1,500年以上の「 ( 根尾谷 ねおだに 薄墨 うすずみ 桜」(岐阜県 本巣もとす根尾板所ねおいたしょ Map→の保護活動をしたり。宇野小林秀雄からこの桜のことを聞き、足を運び、その老残の姿に心動かされ関わるようになったようです。

植物学者・牧野富太郎と交流があった森 鴎外は、自身も身近な草花に心を寄せ、鴎外作品には500種以上の草花が出てくるそうです。草花で、文章に季節や時刻の変化を表し、色を添え、また、登場人物の心情も示唆する。犀星同様、鴎外の日記にも、草花がたくさん出てくるようです。

大正7年に発行された、柳澤 健(28歳)、北村初雄(21歳)、熊田精華(20歳)の合同詩集『海港』に掲載された北村の詩11篇には、 三黒稜草みくりそう碇草いかりそう雀瓜すずめうり蜀葵たちあおい といった64の植物が出てきます。植物の名や形・特徴・イメージを理解して何になるのか(どんな得があるのか)と考える向きもあるかもしれませんが、それらが理解できないうちはその詩のイメージにも達しないというのも事実。

谷川俊太郎の「夏が終る」は、歌の半分が「ものの名」でできています。花の名も。小室 等がメロディーをつけて歌っています(YouTube→)。

吉屋信子初期の代表作『花物語』は52話からなり、それぞれに花の名のタイトルが付いています。 鈴蘭すずらん、月見草、野菊、忘れな草、コスモス、白百合、福寿草、紫陽花あじさい、露草、向日葵ひまわり曼珠沙華まんじゅしゃげ ・・・。一話一話完結しているので、心赴くまま、どの花から読んでもいいでしょう。知らない花なら、花図鑑で調べたり、花屋で見つけて花瓶に挿してみたり、道端で見つけてみたりして、花のイメージを膨らませて読めば、なお面白く読めることでしょう。

「東京新聞」朝刊に連載された中村文則さんの『逃亡者』には、遠藤周作や黒澤 明をとおして日本に深い関心を持つアインという名のベトナムの若い女性が出てきます。彼女が、高峰という日本の若い男性に、近くに咲く白い花にまつわる伝説を語る場面があります。花には、名があり、それが咲く大地と関わる“物語”があり、その“物語”を構成する人々の深い思いがこもっているのでした。

・・・人差し指と中指で、白い花にふれた。
 「昔々、領土問題を抱えていた二つのグループの男女が恋に落ちて、地域を分けるその柵の側で、密会するようになりました。 ・・・(中略)・・・二人の亡骸は柵の近くに埋葬されたのですが、そこに咲いたのがこの花と言われています」
「……へえ」
「サンパギータ。フィリピンの国花です」・・・(中村文則『逃亡者』より)

そんなアインでしたが、日本で、他国の人々を貶めることが大好きな醜い人たちの隊列(ヘイトスピーチの隊列。彼らの国ぐせ「日本が好きなだけ」)に巻き込まれて命を落とします。

他の作家も、作品に、花のイメージを巧みに取り入れています。

岩槻秀明『散歩の花図鑑 〜「この花なに?」がひと目でわかる! 〜』(新星出版) 『植物と暮らす12カ月の楽しみ方 〜花や実を育てる飾る食べる〜』(KADOKAWA)。編著:ガーデンストーリー
岩槻秀明『散歩の花図鑑 〜「この花なに?」がひと目でわかる! 〜』(新星出版) 『植物と暮らす12カ月の楽しみ方 〜花や実を育てる飾る食べる〜』(KADOKAWA)。編著:ガーデンストーリー
宇野千代『薄墨の桜 (集英社文庫)』。謎めいた老女とその老女の言いなりに生きる美しい養女。若い根を継いで蘇る薄墨桜の姿が重なる 『牧野富太郎 〜雑草という草はない〜(別冊太陽)』(平凡社)。小学校を中退、後に「日本植物学の父」となる。草木を愛することは人間を愛すること
宇野千代『薄墨の桜 (集英社文庫)』。謎めいた老女とその老女の言いなりに生きる美しい養女。若い根を継いで蘇る薄墨桜の姿が重なる 『牧野富太郎 〜雑草という草はない〜(別冊太陽)』(平凡社)。小学校を中退、後に「日本植物学の父」となる。草木を愛することは人間を愛すること

■ 馬込文学マラソン:
室生犀星の『黒髪の書』を読む→
宇野千代の『色ざんげ』を読む→
吉屋信子の『花物語』を読む→

■ 参考文献:
●『大森 犀星 昭和』(室生朝子 リブロポート 昭和63年発行)P.228 ●『室生犀星全集 別巻一』(新潮社 昭和41年発行)P.465-469 ●『川端龍子(現代日本の美術13)』(集英社 昭和51年発行)図版19、P.116 ●「淡墨桜[岐阜] 小説に、着物に、作家・宇野千代さんを魅了した幽玄の木」(柏木敦子)婦人画報→ ●「鴎外と草花 関わりは 〜千駄木の「記念館」で特別展〜」(石原真樹)※「東京新聞(朝刊)」 平成29年5月15日掲載 ●『「海港」派の青春 ~詩人・北村初雄~』(江森國友 以文社 平成15年発行)P.3、P.16-17 ●『逃亡者』(中村文則)No.82 ※「東京新聞(朝刊)」平成30年12月24日掲載

※当ページの最終修正年月日
2024.5.3

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