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題名がロマンチックなわりに、最初から激しい。 登場する夫婦は、当地(東京都大田区)の本門寺の近くに住んでいる。子どもが一人。夫はまだ大学生で、この三人家族は、親からの仕送りでなんとか生活しているのだ。妻もずいぶん若いようだ(おそらく10代)。 この夫婦が始終、激しく喧嘩している。 凄まじい悪態の応酬はとどまらない。 小説の書き出しからこんな調子だ。 トゲの多い小魚を上手に食べる女は と、これは、夫が見た妻。ずいぶんこき下ろしたものだ。 妻だって黙っていない。 方言丸出しで 「フン、いいふりばかり吐いで何だベエ。言われて口惜しいんだら、かがや子供をやしなつてみせればええ、大学生ア」 と言い返し、 「まあ、どうしよう……ハルキチ、父さんがまた落第するよ、二度だと、私は
で、この夫婦はなぜこんなにもいがみ合うのか? 実は、この新婚の家庭には、今、夫の同郷の友人が居候している。夫は困っている彼を何とかしてやりたいと思うが、妻は、仕送り頼りのいっぱいいっぱいの生活なのに夫が居候を許したことで頭にきている。 “無制限の友情”に郷愁を感じる夫。でも、実生活においては、腹をすかせる妻と子ども、だ。 妻をののしりつつも、夫の気持ちは揺れる……。 『海を見に行く』について大正14年、慶應大学卒業直後に書き上げた石坂洋次郎(25歳)の初の本格小説。実際にも石坂は学生結婚し、当地(東京都大田区)に住んでいる。その頃のことがモチーフになっているのだろう。 掲載予定の「三田文学」が一時休刊になったため発表が遅れ、不掲載と考えて失望し帰郷。2年後の昭和2年、「三田文学」(2月号)に掲載され話題となる。 ■ 作品評 石坂洋次郎について
作品が掲載されず、高校教師に 慶応大学文学部在学中、今井うら(子)と結婚。 石坂21歳、うら子17歳だった。二人の間には何度も確執があり、石坂は「私が強い個性の男だったら、十ぺんぐらいもお前と離婚していたろう」と語った。石坂作品の『麦死なず』では妻が左翼運動に熱中し、夫と子どもを置いて活動家の男と出奔する下りがあるが、同じようなことが実際にあったようだ。苦労は多かったが、うら子が石坂文学の源泉になる(上で取り上げた『海を見に行く』もそう)。うら子夫人は、 戦後、執筆に追われる夫を助け、出版社や映画会社との交渉などマネージャー的な役割も果たす。昭和46年(石坂71歳)、うら子が死去、石坂の作品数は減少する。 『海を見に行く』の不掲載に失望、郷里に帰って「弘前高等女学校」(現・「弘前中央高等学校」)の教師になる。1年後、秋田県横手に移動、「横手高等女学校」(現・「横手城南高等学校」)、「横手中学校」(現・「横手高等学校」)に勤務。むのたけじは「横手中学校」時代の教え子。『海を見に行く』が掲載されて初めから小説家になっていたら、学校を舞台にした青春モノ(『若い人』『青い山脈』など)は生まれなかっただろう。 筆禍を経て、人気作家へ 『青い山脈』で国民的作家へ 石坂作品の健全さは、13年間におよぶ教員生活などで培われた常識的なバランス感覚に由来するといわれる。無頼な生活を送った同郷の作家・葛西善蔵を敬愛したが、「文学のために家族に辛い苦しい思いをさせる人間ではありたくない」と語った。 昭和61(1986)年10月7日、86歳で死去。多磨霊園に眠る( )。
当地と石坂洋次郎一浪して慶応大学に進み、大正10年(21歳)学生結婚後、当地(東京都大田区)近くの東京都品川区大井の水神下に住むが、肺炎にかかり療養のため家族と帰郷。翌年、単身上京、慶応大学国文科に入り直し、大正13年(24歳)、当地(東京都大田区南馬込三丁目39-5 map→)で妻子を迎えた。北村小松が借りていた家を譲り受けた。『海を見に行く』では「長屋」とある。幼い頃の池部 良が近くに住んでいてちょくちょく見かけたとか。北村とは慶応つながりだろうか。翌14年(25歳)6月に郷里に戻るので、当地にいたのは1年ほど。 再上京して住んだのも当地(東京都大田区田園調布)。最晩年に静岡県の伊東に転居するまで、長らく住む。 参考文献●『大佛次郎・石坂洋次郎集(現代日本文学全集80)』(筑摩書房 昭和31年発行)P.337-345、P.420、P.427 ●『海を見に行く(角川文庫)』(石坂洋次郎 昭和31年初版発行 昭和32年再版参照)P.207-208 ●『わが半生の記』(石坂洋次郎 新潮社 昭和50年)P.110 ●『大田文学地図』(染谷孝哉 蒼海出版 昭和46年)P.84、255-258 ●『馬込文士村の作家たち』(野村 裕 非売品 昭和59年)P.86、P.162-171 ●『馬込文士村ガイドブック(改訂版)』(編・発行:東京都大田区立郷土博物館 平成8年発行)P.2-3 ●『わが町あれこれ 4号』(編:城戸 昇 あれこれ社 平成6年発行)P.23 ●『馬込文士村資料室・資料一覧』(大田区立馬込図書館 平成8年)P.1 ●『昭和文学作家史(別冊一億人の昭和史)』(毎日新聞社 昭和52年発行)P.190-194 ●『風が吹いたら』(池部 良 文藝春秋 昭和62年初版発行 平成11年8刷参照)P.305-319 ●「「青い山脈」までの葛藤」(※「朝日新聞」(平成19年5月19日発行)/ 「be」愛の旅人 ●「青い山脈」(※「朝日新聞」(平成21年6月6日発行)/「be」うたの旅人) ※当ページの最終修正年月日 |