阿弥陀寺(現「赤間神宮」(山口県下関市阿弥陀寺町4-1 map→))の「耳なし芳一」像。芳一は小泉八雲の『怪談』で知られる琵琶法師。芳一が『平家物語』の壇ノ浦の段を語るや「鬼神も涙を流す」と言われたが・・・
『平家物語』冒頭の、
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる者久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き人もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵
に同じ。・・・
は、今でも諳
んじることが出来る。中学の時の国語のN先生はやたら名文とされる文章を暗唱させる教育法をとり、そのテスト(みんなの前で暗唱させられる)もあるので、皆、必死になって覚えたものだ。おかげで、今でも覚えており、何かのおりに諳んじたりすると、「すごーい」と感心してもらえたりするので、N先生には感謝しなくてはならない。
ただし『平家物語』については、ただそれだけ。冒頭の文から平家が栄え、そして滅ぶ話だろうことは推測できる。でもそれ以上はほとんど分からない、というか忘れている?
『平家物語』について知らないでも、特に生活に支障がなかったので放っておいたが、たまたま越して来た当地(東京都大田区馬込)に「磨墨
伝説」があるのを知って興味が出てきた。磨墨は『平家物語』に登場する名馬で、「宇治川の戦い」で、やはり当地にゆかりある名馬・池月と先陣争いをしたとされている。
■ 作品別馬込文学圏地図 「平家物語」→
そんなこともあって、遅ればせながらも、『平家物語』を紐解くようになった。
『平家物語』は、鎌倉時代に成立した平家の物語(主に戦の話)で、琵琶法師というお坊さんの姿をした芸人が琵琶を伴奏に調子よく物語ったそうだ。琵琶法師は平安時代から存在し、寺社の縁起や霊験譚、合戦談、民間伝承などを語り伝えたようだが、『平家物語』が語られ始めるや聴衆の関心を一気に集め、琵琶法師の演し物の定番中の定番になったとのこと。その後、幾人もの人が幾年もかけて様々な文献のテイストも取り入れながら手を加え、現存本は12巻からなるようだ。
平家を倒した源氏の世(鎌倉時代)になって、平家の同情を誘うようなことをよく物語れたと思うけれど、どうやら、当時は怨霊が信じられていて、凄惨な最後を遂げた平家の怨霊を恐れ、それを慰めるための物語として源氏政権下でも許容されたようだ。
「祇園精舎の鐘の声・・・」と声に出すと、その七五調のリズムが心地よい。『平家物語』は、琵琶法師が語ったように声に出して味わうのがいいかもしれない。
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『平家物語』の祇園精舎の下り。演:岩佐鶴丈
(『原典から見た平家物語』東京公演(平成24年4月13日)より。主催:NPO法人「平家物語」を聴く会 |
『平家物語』について
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『平家物語 (角川ソフィア文庫 〜ビギナーズ・クラシックス〜)』 |
『平家物語 (岩波文庫 全4冊セット)』 |
元は3巻、あるいは「治承
物語」の名で6巻だったとも伝わる。『平家物語』の成立について言及した最古の文献は吉田兼好が書いたとされる『徒然草』(鎌倉時代末、あるいは室町時代初頭に成立)には、後鳥羽院(後鳥羽天皇(第82代天皇)。安徳天皇(第81代天皇)の異母弟)と親密な関係にあった比叡山の大僧正・慈円(1155-1225)の庇護を受けた前の
信濃守・行長
(異説あり)が物語を作り、東国の琵琶法師・
生仏
に語らせたとあるが、そうであったとしても行長は代表的な作者の一人と推測される。反幕府感情が強かった後鳥羽院の意向を受けるとともに、慈円は親幕府派の関白・九条兼実
を兄に持っており、源 頼朝とも繋がりがあったので、頼朝の同意もあっただろうか。
全12巻の概略を記すと、1〜3巻で、平 忠盛が鳥羽院(鳥羽天皇(第74代天皇))の信任を得(長承
元年(1132年))、その
嫡男
・平 清盛が太政大臣に昇進して栄華を極めるあたりから始まる。それをよしとしない大納言・藤原成親
(後白河院(後白河天皇(第77代天皇))の側近)を中心に平家打倒の計画(「
鹿ケ谷
の陰謀」)が進むが、発覚、厳しく断罪された。俊寛は鬼界ヶ島
(南方の遠い島を指す一般名詞)に一人取り残され半狂乱となる。
第4〜7巻になると、高倉以仁
王の反平家運動、源 頼朝や木曽義仲の反乱、平 重盛(清盛の嫡男)の病没と平家に凶事が続き、その中で清盛が熱病で悶死。平
維盛
(重盛の嫡男)も惨敗し、京の都に迫る義仲軍を恐れ、平家は安徳天皇を奉じて四国方面へと落ちていく。
第8〜10巻では、京都で横暴を極めた義仲が後白河法皇とも対立。後白河法皇は頼朝に接近し、頼朝から派遣された源 範頼
と源 義経が宇治川を渡って北上(この時、磨墨
と池月の先陣争い)、義仲は討ち取られる。維盛は戦線から離脱後、滝口入道の導きで熊野三山に参詣、その後
那智(現・和歌山県東牟婁
郡那智勝浦町 map →)から舟で沖に出て投身した。
そして、最後の第11〜12巻では、寿永4年2月(1185年)、平家が拠点にした屋島(香川県高松市屋島東町 map→)を義経が急襲、平家は長門(map→)に逃れる。同年3月24日の「壇ノ浦の戦い」で平家は破れ、二位尼
(平 時子。清盛の継室。徳子(建礼門院)の母)は、安徳天皇(6歳)を抱いて海に身を投げ両者は果てた。維盛の嫡男・平 高清(六代(平 正盛(忠盛の父親)から6代目に当たる))も神奈川県の逗子近くで斬られ、平家の子孫が断絶する。
なお、『平家物語』の諸本の中には、平家滅亡の後に、壇ノ浦で救助された建礼門院(平 徳子。清盛と時子の子。第80代天皇・高倉天皇の皇后。第81代天皇・安徳天皇の母)の後日談を付加した「灌頂巻
」(灌頂とは、最高位の者を証する頭に水を注ぐ儀式。最後に伝授される巻であることから)を置くものもある。
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『平家物語 〜琵琶法師の世界〜 (Box set、 CD+DVD』。盲人組織「当道座」によって口伝されてきた琵琶を伴奏に語られる『平家物語』。平成21年度 文化庁芸術祭 大賞を受賞 |
石母田 正
『平家物語 (岩波新書)』。歴史家が迫る『平家物語』の本質 |
参考文献
● 『平家物語(角川ソフィア文庫 ビギナーズ・クラシック)』P.17、P.283-288 ●『新潮日本文学小事典』(昭和43年初版発行 昭和51年6刷参照) ※「平家物語」の項(佐々木八郎)P.1021-1025 ※「慈円」の項(藤平春男)P.536-537 ● 『大田区の史跡散歩(東京史跡ガイド11)』(新倉善之 学生社 昭和53年発行)P.211-212、P.215-216 ●『吉屋信子 ~隠れフェミニスト~』(駒尺喜美 リブロポート 平成6年発行)P.255-264、P.277
参考サイト
●ウィキペディア/・耳なし芳一(令和3年10月23日更新版)→ ・平家物語(令和3年11月25日更新版)→
※当ページの最終修正年月日
2021.12.1
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