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特高のスパイ“M”(昭和7年10月6日、川崎第百銀行大森支店で日本初の銀行強盗がある)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和7年10月6日(1932年。 午後4時頃、JR京浜東北線「大森駅」(東京都大田区大森北一丁目6 map→)中央改札から東口を出て歩いて1分ほどのところにある商店街「ミルパ」の入口あたりの左手にあった「川崎第百銀行(大森支店)」(現在、1階にauショップが入っている「カスタリア大森Ⅱ」(東京都大田区大森北一丁目8-13 map→)あたりにあった)で、日本初の銀行強盗がありました。共産党が関わったことから「赤色ギャング事件」とふざけた名で呼ばれ(事件の背景を知った上で「大森銀行強盗事件」とでも呼ばれるべき)、今でも「“共産党恐〜い”キャンペーン」に利用されますが、実際はどうだったのでしょう?

実行犯は、 西代義治 にししろ・よしはる (24歳) 、中村経一(24歳)、立岡正秋(21歳)の3名で、タクシーを装った党の車で銀行の手前まで行き、銀行の裏口から行内に侵入、深海熊次支店長に拳銃を突きつけたあと、中村が床に向けて2度発砲。怯えた行員を尻目に現金3万1750円(現在の5,700万円ほどか)を奪い取っています。

西代が銀行を出ると細い路地から巡査がちょうど入って来て(下の新聞の写真と地図で分かるように「川崎第百銀行(大森支店)」のすぐ近くに派出所がある。なぜ、そんな所で犯行に及んだのか不可解)、それを拳銃で脅して無抵抗にさせて3人は来た車で逃走。大森駅近くに2台目の党の車が待機していて、西代は現金の入ったボストンバックをそれに移し、大森駅から電車に乗って(悠々と?)逃走。

2台目には正装した 大塚有章 おおつか・ゆうしょう (35歳)と河上芳子(河上 肇の次女。大塚のハウスキーパー)と井上礼子(京都市長・井上 密の次女。西代の恋人)が乗っていました。大塚はモーニング姿で河上は花嫁衣裳。井上はその介添え役の振りをしたようです。非常線が張られていて車は2度検問に合いますが、疑われることなく、鈴ヶ森方面から第一京浜に入って新橋のアジト(新橋駅前の「堤第一ビル」5階。ビルは近年まで存在していた。参考サイト:龍的思考回路/堤第一ビルディング解体へ→)に金を運び込みました。

事件を報じた当時の新聞記事。写真は、JRのガード下あたりから「大森銀座」(現在の「ミルパ」)に向けて撮られている。左手前は「入新井派出所」だろう。正面の瀟洒な建物は「時計屋」。その後ろの矢印部分が「川崎第百銀行(大森支店)」 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:『昭和史発掘 3(文春文庫)』 左の新聞記事の写真と同じ角度から撮った現況。左手前の「入新井派出所」の場所は現在「吉野家」になっている。正面の「時計屋」があった場所には現在1階に「ゆで太郎」が入っているビル。その後ろのビル(1階に「auショップ」が入っている)あたりに「川崎第百銀行(大森支店)」があった
事件を報じた当時の新聞記事。写真は、JRのガード下あたりから「大森銀座」(現在の「ミルパ」)に向けて撮られている。左手前は「入新井派出所」だろう。正面の瀟洒な建物は「時計屋」。その後ろの矢印部分が「川崎第百銀行(大森支店)」 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:『昭和史発掘 3(文春文庫)』 左の新聞記事の写真と同じ角度から撮った現況。左手前の「入新井派出所」の場所は現在「吉野家」になっている。正面の「時計屋」があった場所には現在1階に「ゆで太郎」が入っているビル。その後ろのビル(1階に「auショップ」が入っている)あたりに「川崎第百銀行(大森支店)」があった
昭和17年発行の地図。「×印」の箇所が「入新井派出所」(誤って道の上に記されているが)。「第百支」と書かれているのが「川崎第百銀行(大森支店)」 ※「パブリックドメインの図像(根拠→)」を使用 出典:「大森区詳細図」(日本統制地図株式会社) 昭和17年発行の地図。「×印」の箇所が「入新井派出所」(誤って道の上に記されているが)。「第百支」と書かれているのが「川崎第百銀行(大森支店)」 ※「パブリックドメインの図像(根拠→)」を使用 出典:「大森区詳細図」(日本統制地図株式会社)

事件の責任者の大塚は共産党員で、アジトで現金の入ったボストンバックを受け取った今泉善一いまいずみ・ぜんいち (21歳)も共産党員なので、この事件に共産党が関わったのは明らかです。が、今泉が現金に触れたのは額を確認したときだけで、そのあとすぐに、同アジトで待機していた松村という人物に現金を渡しています。この松村という人物が、なんと、特高のスパイ(スパイ“M”)だったのです。

松村(30歳。松村 昇。本名は飯塚 盈延みつのぶ 。峰原暁助、ヒヨドロフという変名を持つ)は、もとは真面目な共産主義者で、渡辺政之輔に目をかけられ、共産党のリーダーになるべく大正15年頃(24歳頃)モスクワの共産大学(クートベ)に派遣されました。その後、4年ほどクートべで学び、昭和5年5月に帰国。

その頃の日本共産党は当局からの弾圧につぐ弾圧で(昭和3年の「3.15事件」や、昭和4年の「4.16事件」など)、中心的人物のほぼ全員が逮捕されていました。そんな中で田中清玄らによって再建された党は強硬な武装化路線をとり「武装共産党」と呼ばれますが、昭和5年7月15日、その田中も逮捕されます。その日、(たまたま? わざと?)田中を訪問した松村も逮捕されました。

ところが、松村は、なぜか、すぐに解放されています。

そして、松村は、やはりクートべから戻ったばかりの風間丈吉と党の再建に取り組み、党を再建します(「非常時共産党」)。人材不足で松村から請われて風間が中央委員長になりました。風間は、まあ、うまく使える程度の人だったのでしょう。

逮捕された松村は、太平署(本所警察署の分署だった)で、特高課の警部・山県為三(初代特高課長・ 毛利 基 もうり・もとい とともに 小林多喜二拷問死に直接関与した人)にスパイになる約束をしたとされます(この松本清張説に立花 隆も同意している)。特高の目を欺くため党は徹底した秘密主義を貫いていたにも関わらず、松村が一党員の立場で、帰国後1〜2ヶ月で、党関係者とすぐに連絡がとれたことから、彼が帰国当初から(あるいはクートべ時代から?)特高からの情報を元に動いていた可能性が指摘されています。そして、1〜2年ほどで、娑婆の党員を牛耳るまでになったというわけです(当時の党員はコミンテルンからの指令や、松村のようなクートべ帰りは一目置かれ、おいそれとは意見できなかったようだ)。松村はクートべの学習についていけず、共産主義に辟易としているところを付け込まれたようです。

このような、特高のスパイ“M”が牛耳った非常時共産党時代に 「大森銀行強盗事件」は起きたのです。

松村(スパイ“M”)は党内の家屋資金局の責任者でしたが、その責任者会議を経ないで(党の正式な決定機関を経ないで)、「大森銀行強盗」を事業部の今泉に直接指令、今泉が大塚を強盗の責任者にしました。

党内の財政が逼迫していたのは確かですが(当局は党のシンパを検挙し兵糧攻めにした)、だからといって、なぜ、こんな大胆不敵な事件を起こさなければならなかったのでしょう。ひとえに、党のイメージを失墜されることが松村(スパイ“M”)つまりは特高・当局の目的だったのでしょう。 実行犯たちは米国のギャング映画のようにバーバリのレインコートでいかにもな出で立ちで“悪”を演出ヤクザも参加させて(実行犯の一人・立岡正秋は銀座のヤクザだった)恐い人たちとのつながりを強調、 「“共産党恐〜い”キャンペーン」は見事に成功したといえます。昭和6年から当地(東京都大田区南馬込五丁目11-4 map→)に移り住んだ真船 豊(29歳)は、“左翼的雰囲気”でもあったのでしょうか、 働きたくても断られたようです。事件の影響だろうと書いています。

“共産党恐〜い”のイメージは、公判中の裁判にも影響したでしょうし、また、 今泉の逮捕が他の重要人物の検挙の端緒となります。風間も捕まります。松村(スパイ“M”)は当然つかまりません。当局サイドの文書にも全く(?)登場せず、暗躍。「大森銀行強盗事件」を獄中で知った佐野 学や 鍋山貞親は党に幻滅し、彼らの転向(翌昭和8年)の契機にもなったようです。

「“共産党恐〜い”キャンペーン」(協賛:統一教会?)は戦前だけの話ではなく、戦後も(もっとも悪質なのは昭和24年からの「松川事件」)、いえ、現在も続行中。「え! 共産党ですよ!?」と理由もなく、目をひん剥くおっさん、身近にいませんか?

松本清張『昭和史発掘〈3〉 (文春文庫) 』。「スパイ“M”」について200ページほどを割いて詳述。当局サイドの文書に載らなかった「スパイ“M”」の策動をあぶり出す 立花 隆『日本共産党の研究(二) (講談社文庫)』。「大森銀行強盗事件」や「スパイ“M”」についても詳しく書かれている。「スパイ“M”」に同情的
松本清張『昭和史発掘〈3〉 (文春文庫) 』。「スパイ“M”」について200ページほどを割いて詳述。当局サイドの文書に載らなかった「スパイ“M”」の策動をあぶり出す 立花 隆『日本共産党の研究(二) (講談社文庫)』。「大森銀行強盗事件」や「スパイ“M”」についても詳しく書かれている。「スパイ“M”」に同情的
荻野富士夫『特高警察 (岩波新書)』 くらせみきお『小林多喜二を売った男 (スパイ三舩留吉と特高警察)』(白順社)
荻野富士夫『特高警察 (岩波新書)』 くらせみきお『小林多喜二を売った男 (スパイ三舩留吉みふね・とめきち と特高警察)』(白順社)

■ 馬込文学マラソン:
真船 豊の『鼬』を読む→

■ 参考文献:
●『昭和史発掘 3(文春文庫)』(松本清張 平成17年初版発行 同年発行3刷参照)P.272-273、P.299-318、P.334-342、P. 419-421  ●『日本共産党の研究(二)(講談社文庫)』(立花 隆 昭和58年初版発行 平成18年18刷参照)P.12-13、P.134-181 ●『孤独の徒歩』(真船 豊 新制社 昭和33年発行)P.154 ●「昭和40年の1万円を、今のお金に換算するとどの位になりますか?(教えて!にちぎん/金融の歴史、豆知識)」(日本銀行)(site→)

※当ページの最終修正年月日
2023.10.5

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