大正13年8月19日(1924年。
芥川龍之介(32歳)と片山広子(46歳)が、軽井沢の「つるや旅館」(長野県北佐久郡軽井沢町旧軽井沢678 Map→ Site→)の主人・佐藤
不二男
(28歳)が出した車で、信濃追分まで行っています。
中山道と北国
街道の分岐にあたる「
分去
れ」(長野県北佐久郡軽井沢町大字追分55 Map→)まで来た時、2人の眼前に美しい虹が立ちました。
その時の2人を、堀 辰雄(19歳)が後に、小説『
楡
の家』(青空文庫→)に書いています。
・・・私たちはとうとう村はずれの岐れ道まで来た。北よりには浅間山がまだ一面に雨雲をかぶりながら、その赤らんだ肌をところどころ覗かせていた。しかし南のほうはもうすっかり晴れ渡り、いつもよりちかぢかと見える真向こうの小山の上に捲き雲がひとかたまり残っているきりだった。私たちが其処
にぼんやりと立ったまま、気持ちよさそうにつめたい風に吹かれていると、丁度その瞬間、その真向こうの小山のてっぺんから少し手前の松林にかけて、あたかもそれを待ち設けでもしていたかのように、一すじの虹がほのかに見えだした。
「まあ綺麗
な虹だこと……」思わずそう口に出しながら私はパラソルのなかからそれを見上げた。森さんも私のそばに立ったまま、まぶしそうにその虹を見上げていた。そうして何だか非常に穏かな、そのくせ妙に興奮なさっていらっしゃるような面持をしていられた。・・・(堀 辰雄『楡の家』より)
片山の視線で書かれています。「森さん」が芥川。見た場所が「岐れ道」(分去れ)であり、また、美しくても儚
げな虹。その後の2人を暗示しているかのようです。片山は芥川より14歳年上でした。
2人の墓は、偶然でしょうが、近くにあります。
一つのものを、同じ時に、同じ場所で見ること。それがどんなものであり、2人がそれを心にどう刻んだかにより、2人の道行きも定まるかもしれません。
湖上
ポツカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう。
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。
沖に出たらば暗いでせう、
櫂から滴垂る水の音は
昵懇しいものに聞こえませう、
──あなたの言葉の杜切れ間を。
月は聴き耳立てるでせう、
すこしは降りても来るでせう、
われら接唇する時に
月は頭上にあるでせう・・・
(中原中也「湖上」より)
月が、いつも頭上にあることは分かっていても、それに気を止める人はあまりいないかもしれません。それがいつも頭上にあり、また、2人の頭上にあることを意識する時、2人の関係も変わるでしょうか。
REBECCA
の「MOON」(YouTube→)にも、「ママ」(母)の頭上にもあり、「娘」の頭上にもあった月(moon)が出てきます。「Moon あなたは知ってるの」「Moon あなたは何もかも」とあり、これはおそらく、家を飛び出した娘が、「ママ」の気持ちにようやく辿り着いたということなのでしょう。
月は、満ち欠けがあるし、雲に隠れることもありますが、空は、例外的な状況を除いて、全ての人、全世界の人の上に、平等に広がっているはずです。そこには「天国などなく」(no heaven)(実は“神”が世界を分断している)、「空が広がっているだけ」(only sky)と歌ったのがジョン・レノンで、日本の上の空(「日本晴れ」からの連想。単にユニフォームの色?)が「混じり気のない気高い青」と歌うのが椎名林檎・・・。
夏目漱石の最後の作品『明暗』は、昔の彼女と、「浜のお客さま」の誘いで滝を見に行こうかという場面で終わっています。漱石は容態が悪くなり書き継ぐことができなくなったのです。2人が滝を見たら(見に行かなかったかもしれない)、2人はどうなったでしょう? 未完ですが、漱石の小説で最長の作品です。
徳冨蘆花の自伝的小説『富士』に、結婚式の翌日、当地の「
曙楼
」に来て、近くの本門寺で、2人して富士を眺める印象的な場面があります。
一世風靡した韓国ドラマ「冬のソナタ」(監督:ユン・ソクホ)(Amazon→)は、3つの湖があることから「湖畔都市」と呼ばれる、韓国北東部の春川(チュンチョン)(Map→)が舞台になっており、第1話目(全20話)から印象的な湖の場面があります。第7話で、湖を前にして、過去のチュンサンの姿ばかりを追うユジンに、ミニョン(チュンサンだった時の記憶を事故で失って今はミニョンとして生きている)が言います。
「こんなに美しい所なのにあなたが見てるのは何ですか・・・(中略)・・・世界はこんなに温かくて美しいのに」
と。このセリフは、第15話で、今度はユジンの言葉として語られます。
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堀 辰雄『菜穂子・楡の家 (新潮文庫)』 |
「俺の裡で鳴り止まない詩
~中原中也作品集」。友川かずきが中也を歌う。「湖上」もあり |
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ジョン・レノン「イマジン」。「空が広がっているだけ」と歌った「Imagine」ほか、「Jealous Guy」「I Don't Want to Be A Soldier」「Oh Yoko!」などを収録。全英・全米、日本オリコン総合チャートで第1位。「Imagine」はローリング・ストーン誌の「The 500 Greatest Songs of All Time」で第3位 |
辻村深月
『この夏の星を見る』(KADOKAWA)。様々な場所で、様々な孤独・疎外感を抱える若者たちが、同じ星を見ることでつながってゆく。コロナ禍の令和3年、「東京新聞」で連載された小説 |
■ 馬込文学マラソン:
・ 芥川龍之介の『魔術』を読む→
・ 片山広子の『翡翠』を読む→
・ 堀 辰雄の『聖家族』を読む→
・ 中原中也の「お会式の夜」を読む→
■ 参考文献:
●『片山廣子 ~孤高の歌人~』(清部千鶴子 短歌新聞社 平成9年初版発行 平成12年発行3刷)P.55-56、P.63-64、P.164 ●『芥川龍之介(新潮日本文学アルバム)』(昭和58年初版発行 昭和58年発行2刷)P.20、P.75-77、P.81、 P.107-108 ●『堀 辰雄(新潮日本文学アルバム)』(昭和59年発行)P.12-15、P.23 ●『堀 辰雄(人と文学シリーズ) 』(川端康成・井上 靖監修 学研 昭和55年発行)P.127 ●『物語の娘 宗 瑛を探して』(川村 湊 講談社 平成17年発行)P.41-42 ●『菜穂子・楡の家(角川文庫)』(堀 辰雄 昭和43年初版発行 昭和47年発行6刷)P.109-110 ●『文学者たちの軽井沢(上)』(吉村裕美 軽井沢新聞社 平成21年発行)P.21-88 ●『軽井沢物語』(佐藤不二男 軽井沢書房 昭和51年発行)P.142 ●『評伝 堀 辰雄』(小川和佑 六興出版 昭和53年発行)P.54-56、P.203 ●「不朽の名作『冬のソナタ』舞台の江原道・春川」(小暮真琴)(テレ東プラス→)
※当ページの最終修正年月日
2024.8.21
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