山本 鼎やまもと・かなえ。明治15年愛知県生まれの美術教育家。9年間木版工房で奉公。東京美術学校在学時「明星」掲載の版画「漁夫」で注目された。美術文芸誌「方寸」を創刊。「パンの会」にも参加した。4年間のフランス留学でリアリズムを学び、帰国後は自由画教育運動・農民美術運動を起こす。昭和11〜18年、当地(東京都大田区山王一丁目)に住む。昭和21年(63歳)死去。北原白秋と親友で彼の妹を妻にした。長男は詩人の山本太郎。参考サイト:ウィキペディア/山本鼎→ ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:『大正文学アルバム』(新潮社) |