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自然との合一(昭和43年12月11日、川端康成、ノーベル賞受賞の記念講演)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大自然(富士山)に見入る西行。川端康成はノーベル文学賞の記念講演で、西行にも触れた 狩野尚信の「富士見西行図屏風」(全体図→)から構成しました。「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典:「探幽 3兄弟展(カタログ)」(板橋区立美術館、群馬県立近代美術館、読売新聞社、美術館連絡協議会)**

川端康成

昭和43年12月11日(1968年。 ※現地では12月10日)、川端康成(69歳)が、「スウェーデン・アカデミー」(オフィスは「ノーベル博物館」(スウェーデン ストックホルム ストールトルゲット2, 103 16 Map→)でノーベル文学賞受賞の記念講演をしました(受賞決定は2ヶ月ほど前の10月17日)。 演題は 「美しい日本の私」。*

道元
道 元

講演の冒頭で、川端は、 道元 どうげん (1200-1253。曹洞宗の開祖)の歌をあげています。*

春は花
夏ほととぎす
秋は月
冬雪さえて冷しかりけり*

「花」「ほととぎす」「月」「雪」と四季の代表的な風物を並べたものですが、注目すべきは4行目の「冷し」。*

「冷し」は一般に「 すず し」と読まれています。ただ「雪が冴え冴えして、さぞ冷たかろう」というのでなく、そこに「涼し」といった心地よさげな感覚を盛り込むことで、自然と合一した境地が浮かび上がってきます。*

明恵
明 恵

川端が次にあげたのは 明恵 みょうえ (1173-1232)で、彼女が詠んだ4つの月の歌を紹介しています。*

雲を出でて我にともなふ冬の月
風や身にしむ雲や冷たき*

と、「雲が冷やっこくありませんか」と月を気にかけ、*

山の端にわれも入りなむ月も入れ
夜な夜なごとにまた友とせむ*

と、自分も修行のためにお堂に入るけれど、「あなたも山の中にお入りなさい。そして、また会いましょう」と月に親しく呼びかけ、修行中、お堂の窓から月の光が差し込むのを見ては、*

くまもなく澄める心の輝けば
我が光りとや月思ふらむ*

と、心が澄んできて自身と月の光とが渾然となるのでした。*

そして、次の絶唱となります。*

あかあかやあかあかあかやあかあかや
あかやあかあかあかあかや月*

と、澄み切った月の明かりの見事さにただただ感嘆するばかりのまさに絶唱。まるで近代の前衛詩のようです。*

月という自然物に親しみ、それを友とし、それと一体となり、それをひたすらの感嘆の対象とする。明恵また自然と合一する境地を生きたのでしょう。*

良寛
良寛

次に川端が紹介したのは、良寛の辞世の歌です。*

形見とて何か残さん春は花
山ほととぎす秋はもみぢ葉*

自分が残せるものは何もないけれど、自分が死んでも、この変化に富んだ美しいは自然は残るのだ、と。自然と一体というより、全てが自然であり、無我の境地に達しているようです。*

芥川龍之介

芥川龍之介については、「 ある 旧友へ送る手記」の中の、死の直前に見る自然が「いつもよりも一層美しい」との一節を取り上げています。死が迫ると自分に関してはもはや守るものがなくなり、ただただ自然のみとなって、心に沁みるのでしょうか。*

講演で川端は、道元、明恵、良寛、芥川龍之介の他にも、西行、一休、親鸞、池坊専応、紫 式部、清少納言、和泉式部、赤染衛門、小野小町、永福門院をあげ、自然を通して、自然と合一する中で感得される、日本特有の美について語り、自身の作品もその美意識に立脚しているとしました。*

「自然との合一」の呼吸は、川端作品にどう反映してるでしょう。川端の代表作『雪国』の終末部に、主人公の胸に、天の川がすっと流れ込んでくる、ゾッとするほど美しい(ゾッとするほど哀しくもある)場面があります。*

・・・「どいて。どいて頂戴ちょうだい。」
駒子の叫びが島村に聞えた。
「この子、気がちがふわ。気がちがふわ。」
 さう言ふ声が物狂ものくるはしい駒子に島村は近づこうとして、葉子を駒子から抱き取らうとする男達に押されてよろめいた。踏みこたへて目を上げた途端とたん 、さあと音を立てて天の河が島村のなかへ流れ落ちるやうであつた。(川端康成『雪国』より)*

今や、自然を含め周りにお構いなしの建造物がポコポコ出現しているようでもありますが、かつては、建造物にも意識するとはなしに「自然との合一」の美意識が色濃く反映されていたようです。日本を訪れた海外の人が強く心打たれたのも、そういった自然と人工との渾然とした様でした。日本の気候が比較的穏やかで、自然が柔らかな表情を見せることが多いことも影響していると思われます。*

自然は、地球の違う地点では違った偉大さを現し、その中から異なる美意識(没入感)も生まれてきたことでしょう。*

・・・感覚は別物だった。陽の球が大きく感じるし、空も色が濃いし、空気は甘く香る。日本の秋のような透明感は少なく、色のグラデーションも乏しく、濃い紅の光が液体となってこぼれるものの、太陽のそばで滞留してあまり大きくは広がらない。
 イツキは三人を見る。クリムゾンの光に染まっている。日本の夕暮れだと、光を浴びると平面になったように感じるが、ここの光はみんなを立体的にする。・・・(星野智幸『ひとでなし』より)*

川端康成 『美しい日本の私 (講談社現代新書)』。●もう一人の日本人のノーベル文学賞受賞者・大江健三郎は、記念講演を「あいまいな日本の私」という演題で行なった。もちろん川端の演題にぶつけたのだろう。日本文化論として、これも併せて読みたい(Amazon→) 鈴木大拙 『禅と日本文化(岩波新書)』。訳:北川桃雄
川端康成 『美しい日本の私 (講談社現代新書)』。

鈴木大拙 『禅と日本文化(岩波新書)』。訳:北川桃雄
『奇跡の大自然図鑑』(東京書籍)。監修:吉田英嗣、スミソニアン協会*  
『奇跡の大自然図鑑』(東京書籍)。監修:吉田英嗣、スミソニアン協会*  

■ 馬込文学マラソン:
川端康成の『雪国』を読む→
芥川龍之介の『魔術』を読む→

■ 参考文献:
●『川端康成(新潮日本文学アルバム)』(昭和59年発行)P.90-91 ●『美しい日本の私(角川ソフィア文庫)』(川端康成 平成27年発行)※「美しい日本の私」P.13-28、「末期の眼」P.130-146 ●「質問:春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪冴えて冷しかりけり」の句の作者と解釈を知りたい。」(レファレンス共同データベース→)*

※当ページの最終修正年月日
2023.12.11

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