薄田研二すすきだ・けんじ。明治31年福岡市の造り酒屋で生まれた俳優。結核療養中知り合った小島善三郎に誘われて倉田百三に会い、師事。倉田の女性関係で居場所を失っていた倉田の妻だった神田晴子と結婚。倉田のために催された曙楼での演劇会で俊寛を演じ、演劇の世界に入いる。劇団・築地小劇場をへて、新築地劇団の結成に参加(解散まで在籍)、プロレタリア演劇の中心的存在となる。映画出演も多い。昭和47年(73歳)死去する。参考サイト:ウィキペディア/薄田研二→ ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:『暗転 〜わが演劇自伝〜』(薄田研二) |