新田義興

新田義興

にった・よしおき。元徳3年(1331年)生まれの武将。新田義貞の次男だが妾腹だったため疎んじられた。勇将に数えられる。後醍醐天皇の御前で元服、新田を再興するようにと「義興」の名を賜った。雌伏していたが、足利尊氏の死去した1358年(28歳)、鎌倉奪還を目指して動くが、関東管領・畠山国清の息がかかる竹沢右京亮と江戸氏に謀られ、多摩川の「矢口の渡し」で謀殺される。参考サイト:ウィキペディア/新田義興→

※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/新田義興(平成27年9月11日更新版)→

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