清浦奎吾

清浦奎吾

きようら・けいご。嘉永3年(1850年)熊本生まれの政治家。寺の5男。反対を押し切って 咸宜園かんぎえん で学ぶ。上京し刑事訴訟法の制定に尽力。著書『治罪法講義随聴随筆』が広く警察官に読まれた。山県有朋らの推挙もあり、内務省警保局長、司法相を経て、第23代内閣総理大臣に。政党を排除、貴族院議員からの登用に偏重、ゆえに批判され約5ヶ月で総辞職。当地(東京都大田区山王二丁目)に邸宅があった。昭和17年(92歳)死去。参考サイト:ウィキペディア/清浦奎吾→

※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/清浦奎吾(平成28年1月1日更新版)→

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