嘉村礒多

嘉村礒多

かむら・いそた。明治30年山口県仁保の裕福な農家で生まれた小説家。対人関係を望まず旧制山口中学を四年で退学して帰農した。キリスト教や浄土真宗に救いを求める。私立中村女學校の書記を経て、大正15年(29歳)、「不同調」の記者になり、葛西善蔵と親交。同誌に『業苦』『崖の下』などの私小説を発表し注目される。昭和8年(35歳)結核性腹膜炎で死去。●「嘉村礒多」(大森澄雄)コトバンク→

※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:新潮日本文学アルバム別巻『昭和文学アルバム(1)』(新潮社)

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