井上司朗いのうえ・しろう。明治36年東京生まれの歌人・官僚。東京大学政治学部卒業。安田銀行をへて内閣情報部に任官、後に「情報局」の文芸課課長として文壇に影響力を持った。逗子八郎の名で歌を作り、昭和4年頃から「短歌と方法」を主宰。作品集に『山のこゝろ』(昭和13年)などがある。戦後、公職追放令を受けた。後楽園スタジアム、ニッポン放送の要職を歴任。平成3年(88歳)死去した。[馬込文学マラソン]井上司朗の『証言・戦時文壇史』を読む→ ※写真の出典:『証言 戦時文壇史』(井上司朗 人間の科学社) |