羽田穴守町はねだ・あなもりちょう。天明年間(1781-1789年)、羽田漁師町の鈴木弥五右衛門が、多摩川河口の砂州を干拓して作った鈴木新田内の地名。昭和20年、GHQにより羽田鈴木町、羽田江戸見町と共に接収された。現在、羽田空港の一部(西側のC滑走路付近か)。穴守稲荷神社(現在、羽田五丁目に移転)、要館(日本飛行学校)があった。参考サイト:羽田ボランティア推進の会/郷土の歴史→ ※上の写真は羽田穴守稲荷神社 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:時刻表歴史館/羽田空港半世紀の歴史/展示室(発祥篇)→ |