玉井清太郎

玉井清太郎

たまい・せいたろう。明治25年三重県四日市生まれの民間飛行家。飛行が国家的事業と父を説得して飛行家の道を歩む。大正5年相羽 有あいば・たもつと羽田穴守に日本飛行学校を設立、同年自作機「玉井式2号機」で飛行に成功した。翌大正6年、日本初の3人乗りプロペラ機「玉井式3号機」で東京中心部への飛行を試みるが、飛行中翼が折れて墜死する。満24歳。弟の藤一郎が遺志をついで羽田飛行機研究所を設立、羽田飛行場の礎となる。参考サイト:コトバンク/玉井清太郎→

※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:『伊勢志摩のイカロスたち 〜みえ民間航空史〜』(平木國夫)

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