河合栄治郎かわい・えいじろう。明治24年東京都足立区の酒屋で生まれた社会思想家・経済学者。帝大法科を主席で卒業後、農商務省に入るがILOに日本政府案を起草したが容れられず辞職。イギリス遊学後、帝大教授になる。個人の人格成長を基幹とする「第三期自由主義」を提唱。共産主義も自由主義の立場から批判した。ファシズムも批判し、退官に追い込まれ(「平賀粛学」)、有罪となる。昭和19年(53歳)心臓麻痺で死去。参考サイト:ウィキペディア/河合栄治郎→ ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:Amazon/『戦闘的自由主義者 河合栄治郎』 → |