秋田雨雀あきた・うじゃく。明治16年、青森県生まれの劇作家・社会運動家。早稲田大学英文科在学中、島村抱月の推挙で「早稲田文学」に作品を発表。劇団「自由劇場」、劇団「芸術座」に参加する。エロシェンコと親交、エスペラント語の普及に努めた。関東大震災後の朝鮮人虐殺を告発した戯曲『骸骨と舞踏』を書く。昭和15年検挙される。戦後は舞台芸術学院舞台芸術学院の院長となる。 昭和37年(79歳)死去。参考サイト:ウィキペディア/秋田雨雀→ ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/秋田雨雀(平成30年10月8日更新版)→ |