山本唯三郎・・・明治6年岡山の藩士の家で生まれる。養子に出され豆腐屋の小僧になるが、10歳の頃大阪に出て、活字拾いをしながら、英語を学んだ。札幌農学校卒業後石狩平野の開拓で成功、さらに中国にわたって貿易会社「松昌洋行」を設立し、大戦景気で巨万の富を築いた。大戦後の不景気で没落、昭和2年満53歳で死去。馬込文学圏(池上1丁目)の邸宅跡は、大森相撲協会の練習場になった。参考サイト:ウィキペディア/山本唯三郎→