松山省三(しょうぞう)・・・明治17年広島市長の3男として生まれる。東京美術学校洋画科卒、画家になるべく上京した。パリ留学を志したが義父が小豆市場で失敗したことを契機に、パリのカフェを模した日本初のカフェ「プランタン」を銀座8丁目に作った。麻雀を日本に持ち込む。戦後は文春クラブの支配人を務めた。5代目川原崎国太郎は長男。参考サイト:ウィキペディア/松山省三→